今日のみ言葉【No.682】(2013年10月25日)
ただ大きな力と伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から導き上った主をのみ敬い、これを拝み、これに犠牲をささげなければならない。
(列王紀下17:36)
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列王紀下17章には、北イスラエルがアッスリヤに滅ぼされた事実が書かれています。
この事が起ったのは、
「イスラエルの人々が、自分たちをエジプトの地から導き上って、エジプトの王パロの手をのがれさせられたその神、主にむかって罪を犯し、他の神々を敬い、」
(列王紀下17:7)
とあるように、愛の神からイスラエルが離れたからです。
神は預言者を遣わし、何度もご自身の元に民を呼び戻そうとしました。
しかし、
「彼らは聞きいれず、彼らの先祖たちがその神、主を信じないで、強情であったように、彼らは強情であった。」
(列王紀下17:14)
のです。
その先にあったのは滅亡でした。
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目先の欲にとらわれると、このような結果に陥ります。
新約聖書ではこのことを
「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。」
(ヤコブ1:15)
と表現しています。
自分にとって
「損か得か」
という基準で生きると、やがて「死」という言葉で表される「分離」がやって来ます。
人間関係は切れ、手にしたはずのものが自分から離れ、バラバラになっていくのです。
神との関係は、この世の「損得」以外の別の基準であるべきなのです。
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神との関係は、
「選び」
で始まります。
何の価値もない一人の人、アブラハムを神がお選びになり、特別な計画を持って彼を愛し、育んだことが聖書に書かれてあります。
彼は神に対して最も有能で仕事が出来るから選ばれたのではありません。
多くの失敗をしでかしたアブラハムでしたが、神様は彼を
「選んだ」
のです。
神は彼と共に生きることを選んだのです。
そして後にアブラハムの子孫であるイスラエルの民がエジプトで奴隷になって苦しんでいる時、彼らを導き、そこから解放して下さいました。
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その神を選べ、というのが今日の聖句です。
自分の得になる神を選ぶのではなく、あなたを選んだ神をあなたも選びなさいということです。
なぜなら、その神は、あなたに何の価値が無くともあなたを選んだ神だからです。
あなたが何を出来ようが出来まいが、あなたを愛し続ける神だからです。
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カトリックの晴佐久昌英(はれさく まさひで)神父のお話です。
彼はある人から強く叱られました。
「それでも神父か!」
晴佐久神父ご自身がこのように書いておられます。
「ここが自分の一番ダメな所なんですけど、そう言われると言い返してしまうんですよね。」
正直な言葉です。
当然、その人との関係はこじれ、神父の心も傷つきました。
その状態のまま、彼はサンクトペテルブルクに行き、エルミタージュ美術館でレンブラントの「放蕩息子の帰還」という大きな絵を見ます。
感動して1時間立って見ていたそうです。
なぜならその時、彼はこう感じたからです。
「『それでも神父か』と言われるような私だけど、神はこの私を赦している。こんな私をいつまでも、絶対に赦している。それに応えて行かなきゃならない。そんな神を信じ続けなきゃいけないな。」
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神の選びは赦しと共にあります。
「あなたはそのままでいい」という神の言葉を聞き、その神を選んで今日も歩んで参りましょう。
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