今日のみ言葉【No.914】(2014年10月15日)

彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。
(詩篇84:6 新改訳)

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靴のセールスマンの有名な例話です。

昔、とある靴メーカーの社長が二人のセールスマンを未開の地に派遣しました。

早々と帰って来たA君は沈んだ口調でこう報告しました。

「社長、あそこはダメです。誰も靴を履いていません…。」

もう一人のB君はいつまでたっても帰って来ません。

心配になった社長は、当時まだ高料金でしたが、国際電話をかけました。

するとB君は、明るい声でこう言いました。

「社長、ここのマーケットは有望です。誰も靴を履いていません!」

同じ状況が絶望とも希望とも取れるとは、どこに違いがあるのでしょうか?

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詩篇第84篇は、バビロンに補囚された民がエルサレム神殿を振り返る望郷の歌だと言われています。

当たり前に思っていた日常が失われた時、それがどんなに豊かで恵みに満ちていたかを思い起こし、

「あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。」
(詩篇84:10)

と歌います。

しかし彼らは嘆きや回想だけにとどまりません。

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」
(詩篇84:6 新改訳)

今いる「涙の谷」を「泉のわく所とする」という決意を持って人生を歩みます。

その時の心構えが、

「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人」
(詩篇84:5)

なのです。

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積極思考、前向き思考、プラス思考も良いでしょう。大いに取り入れるべきです。

しかしそれはあくまでも人間の努力の面であることを冷静・客観的に捉えていなければなりません。

可能思考が砂上の楼閣、絵に描いた餅に終わらせない鍵が、

「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人」
(詩篇84:5)

つまり、神を力の源泉とすることです。

全てが神の力によって成され、私は私の分をさせていただいているに過ぎない。

これを基本姿勢として生きる人は、たとえ失敗や拒絶に出会い、計画が挫折に終わったとしても、また新たな希望を持って踏み出す命を持ちます。

何度も試行錯誤し、何度も想定外の結果に終わる。

しかし、神の命に生き、神の御心を生きる人は、その生きた足跡が、

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」
(詩篇84:6 新改訳)

と他者から褒め称えられる人生を送るのです。

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今日も神に根ざし、神の力をいただいて、チャレンジの一日を送って参りましょう。

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