今日のみ言葉【No.3261】(2024年 1月15日)「生活の処方箋(103)『生かされている』」
その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(詩篇136:16)
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人間とは何者か、という問いは豊かな人生を生きる必須条件です。
「その人の総合力から○○○の合計を引いたものがその人自身」
と言えます。
さて、「○○○」にはどんな単語を入れますか?
その人の総合力から「虚栄心」を引いたものがその人自身になります。
しかし、この計算をすると、たいていの人がマイナスとなります。
なぜなら、総合力の小さい人ほど虚栄心が大きくなるからです。
総合力の大きい人は、虚栄心を持つ必要がありません。
では、「総合力」とは何でしょうか?
それは「自信」です。
「自信」とは「何かができる」とか、目に見える、物差しなどで測れる評価ではなく、命が与えられて生かされていることに強く感謝することから生まれます。
どんなに問題や支障があっても、今日、命が与えられて生かされていることが最大の喜びであると、今週もしっかり覚えていきたいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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旧約聖書の詩篇第136篇では、「感謝せよ」という語が繰り返し用いられています。
感謝ですから、
「自分に対して神様が良くして下さったことを感謝する」
というのが普通ではないでしょうか。
「われらのあだからわれらを助け出された者に感謝せよ」
(詩篇136:24)
「すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ」
(詩篇136:25)
などはその例です。
ところが、この詩篇の中に、ひとつ、
「その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」
(詩篇136:16)
という感謝があります。
神がイスラエルの民を40年間荒野で生活させたことに感謝せよと言うのです。
荒野は何も無い場所です。
しかし、神は、食物もない、水もない場所で、天からマナを降らせ、泉のある場所へと導かれました。
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人生には「荒野」を通らせられているように感じる時期があります。
愛する者の死、失業、離婚、大きな病気、思わぬ怪我、人からの誤解等々、数え上げればきりが無いほどです。
私たちにとって、
「それが何の喜びか?何が感謝か!」
と憤りを感じるような状況でも、聖書が明らかにする神とは、
「その民を導いて荒野を通らせられた者」
(詩篇136:16)
だから、感謝せよ、と言うのです。
私たちにとって大変苦しい状況ではあっても、その中で一つ一つ導きを与え、試練を通らせることによって祝福を与える神だと信じて進むので、私たちは感謝できるのです。
人生の荒野を通り過ぎる時は、自分の力で歩き抜く感覚は失せます。
ただただ毎日を惰性のように繰り返し、口から出てくる嘆きをまき散らしながら、形だけ生きているに過ぎない感覚です。
それでも生きているということは、「生かされている」ということです。
そこに気づき、その世界を歩ませてもらっている自分に気づく時、「感謝」が芽生え、やがてはそれが「自信」へとつながっていきます。
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命与えられ、生かされている日々であることを覚え、感謝して進んで参りましょう。
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