今日のみ言葉【No.624】(2013年 8月 2日)

すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。
(サムエル記下6:7)

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この御言葉メールですが、自分でもよく毎日書いてるもんだなー、と思っています。

しょうがありません。毎朝メッセージが天から降ってくるのですから…(^_^;。

慰めや励ましの内容もありますが、難しいことや人間の都合に合わない厳しいことを書くこともあります。

私は人にいい顔ばかりをしてはいけないからです。神の側につくことが使命だからです。

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今日の聖句のウザの話も難解な個所です。

牛車から落ちそうになった神の契約の箱を支えたのに、なぜウザは主から殺されなければならなかったのでしょうか?

ちょっと読むだけでは納得がいきません。

しかしこの背景には、神の定めた通りに事を行わず、人間が

「神のために良かれと思って考えたこと」

がありました。

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民数記4章にある規定では、契約の箱は、環に差し入れたさおの部分をかついで運ぶことになっていました。しかし彼らは新品の牛車に乗せて運びました。

運搬する人はレビ族のコハテの子たちに限られていました。しかしウザはアビナダブの子でした。

ダビデが3万人の人々を集め、行列を作り、新品の車に載せ、

「琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った。」
(サムエル記下6:5)

と盛大に行ったとしても、神の規定に反していれば意味がないのです。

また、神様はお一人で立たれる自立したお方ですから、牛車から落ちそうになったとしても、それで壊れたり存在が無くなったりするわけではありません。

そのような人間の理解不足が招いたウザの悲劇だったのでしょう。

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神はあれこれ世話をされる必要のある方ではありません。

たとえば、日本ではお盆の季節にお墓参りをする伝統がありますが、

「暑いだろうなあ」

と言ってお墓に冷たい水をかけたり、

「これ、好物だったよなー」

と言って食べ物をお供えに置き、故人を偲ぶ心情は理解できます。

しかし神はそのようなお方ではないのです。

ご自分で自立しているお方なので、冷たい水をかけてもらわなければ暑さを我慢できないというお方ではないのです。

一見、神を守る、という敬虔な形に見えながら、実は神を人間より下にしていたウザの行為は、私たちへの教訓です。

神に従うこと。

この一点をはっきりとしなければなりません。

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神に愛され、養われている自分を確認しましょう。

その応答として神への愛があるのです。