今日のみ言葉【No.604】(2013年 7月10日)

この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか。
(サムエル記上17:26)

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サムエル記上17章は、少年ダビデが敵の巨人ゴリアテを打ち負かした有名な個所です。

ダビデは身長3メートルのゴリアテに対し、剣ではなく

「谷間からなめらかな石五個を選びとって」
(サムエル記上17:40)

向かいました。

私はイスラエル旅行でこの戦いの場所エラの谷を訪れた時、なめらかな石を探しましたが、あるのはゴツゴツとした石ばかりでした。

ガイドさんに聞くと、

「世界中から来る観光客がなめらかな石ばかりを持っていったから」

という答えが返ってきました!

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どう見ても勝ち目がなさそうに見えるダビデでしたが、彼は生ける神への信仰を持っていました。

しかしそればかりでは現実無視の暴走につながりかねません。

ダビデが5個の石を取ったのは、それが彼の得意技だったからです。

石を投げて正確に相手の急所に命中させることが出来る、という能力を用いようとしたのです。

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信仰を持って難敵に挑む時は、

「既に勝った」

と考えることがポイントです。

そして、勝利した未来から現在を見るのです。

「私がこの試練を乗り越えることができたのはなぜだったのだろうか?」

ダビデが巨人ゴリアテに勝った…、というシーンは、彼の得意技である石投げが成功したからだ、というわけです。

そこからさかのぼって、では第一歩は何をすればいいのか、と考えると、信仰が現実化する歩みが見え始めます。

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「ダビデは何個目の石でゴリアテを倒したか?」

というクイズのような問題をユダヤ人の学者たちはまじめに考えたのだそうです。

あなたは第何投目で眉間の急所に命中させたのだと思いますか?

「もちろん最初の一撃!」

「ラストの5個目で劇的に!」

等の様々な答えがあるでしょう。

ユダヤ人の聖書学者たちの統一見解は、

「第4個目」

だそうです。

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その理由はこうです。

命中する確率を高めるためには、可能な限り相手との距離を近づけた方がよい。

そこで第1投目はわざと遠く外し、第2投目も足元に投げ、相手がこちらを見くびるようにさせる。

そこで距離を詰めます。

そして相手が油断している隙に第3投目で眉間を狙う…、ことはせず、これも外します。

それはもっと距離を縮めて間違いなく命中させることの出来る場所までやって来るためです。

そして第4投目でビシッと決めるのです。

すごいですね!

しかしそれではなぜ5個目は使わないのでしょうか?

それは、もし万が一、4投目で失敗したときのための予備の石としてとっておくためなのだそうです!

ユダヤ人はこのように考える民族なのです。

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あなたは未来において既に試練に打ち勝っているのです。

最初は到底乗り越えられないと思っていた試練。

しかし未来から考えてみましょう。

数年後の未来に自分がいるとして、

「なぜ私は2013年のあの試練を乗り越えられたのか…」

と考え、

「それはこうしたからだったなー」

と思い出風に考えてみるのです。

そうすると、巨人ゴリアテに立ち向かったダビデのように、手になめらかな石5個が握られているのを私たちは知ることでしょう。

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信じたことを現実化させる一歩を踏み出す一日として参りましょう。