今日のみ言葉【No.598】(2013年 6月26日)

サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝った。
(サムエル記上11:15)

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ストレスに免疫はないといいます。

確かにある程度の耐える力はつきますが、

「はしかのように免疫ができたのでストレスにかからなくなった」

ということはありません。

つまり、生きている限り、「嫌だな」と感じる出来事は起き続けるということです。

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お釈迦様が苦行を自分に課したのは、このストレス免疫を目指したのかもしれません。

しかし菩提樹の下で少女がくれた乳粥をもらい、苦行の無意味さを知らされます。

そのことが重大なきっかけとなり、悟りを開くわけです。

諸行無常。

現代流に言えば、苦しみは起き続けるがそれは永遠に続くのではない。喜びもまた同じ。

その現実をあきらかに見ることが「諦め(あきらめ)」

ストレスは受け流すがよろし、ということでしょうか。

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聖書では諦めではなく、生きた人格的神が積極的に人生に働きかけることを宣言しています。

サムエル記上11章では、サウルの即位後、すぐにアンモン人が攻めてきたことが記されています。

ようやく王が決まり、新体制でスタートした矢先に何という災いが襲ってきたことでしょうか。

しかし、

「サウルがこの言葉を聞いた時、神の霊が激しく彼の上に臨んだ」
(サムエル記上11:6)

とあります。

サウル王は神の力をいただき、アンモン人を撃ち破ります。

そして今日の聖句の

「サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝った。」

となるのです。

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主にある苦難は喜びの初めです。

苦難や思いもかけない出来事は生きていく中で完全には避けることができません。

「とうとう当たってしまった…」

とか

「用心していたのに結局落とし穴にはまった…」

などとは考えないようにしましょう。

アンモン人の襲撃があったからこそ、イスラエルはサウル王を中心として団結することができ、その後の勝利を祝うことができたのです。

神が私たちの人生に積極的に関わろうとしていることを忘れてはいけません。

そこに

「あきらめるしかない…」

で終わっていた人生から、

「チャレンジできる人生」

への転換点があります。

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ストレスを感じるときこそ、神に祈り、その働きに期待しましょう。