今日のみ言葉【No.3012】(2023年 2月17日)「3人の弟子志願者(1)」
道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。
(ルカ9:57)
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キリスト教にはタダでもらえるものと、犠牲を払って獲得しなければならないものの両方があります。
タダの代表は永遠の命です。
キリストによって救われると信じるだけで得られます。
何の努力も苦労もいりません。
一方、犠牲を払う代表はキリストの弟子となることです。
努力と苦痛はつきもので、支払ったからといって得られるとは限らず、報われないことも多くあります。
「そんな世界にあなたは安易に飛び込むつもりですか?覚悟はあるのですか?やり切る見通しはあるのか?」
とイエス様が問うているのが今回の箇所です。
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3名の志願者の内、最初の一人は律法学者だったということがマタイによる福音書でわかります。
「するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、『先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります』」
(マタイ8:19)
律法学者ですから、一般大衆を教え導くエリート的立場にいる人です。
しかも自信満々です。
「どこへでも従ってまいります」
だそうです。
彼は自分の真の実力を知らないのです。
人間がストレスにさらされた時どんな本音が出てくるのか、おそらく温室育ちで、理想を追求する彼には想像できません。
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イエス様は彼にこう言われました。
「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」
(ルカ9:58)
これは悲壮感をあおって感傷的ムードに浸るために言っていることではありません。
「私に従って弟子生活を送ることは大変なんだよ。狐や鳥でさえ自分のねぐらがあるのに、私に従って来れば無いのだよ」
という意味で、イエス様がこの人に警告しておられるのです。
つまり、
「あなたは今、恵まれた環境で快適な生活を送っているが、弟子となればそれは保証されない。見通しが甘いのではないか。あなたの実力でこれからの生活に耐えられるかよく考えてみなさい」
と、最初の弟子志願者をやんわりと断っているわけです。
イエス様は救いに関しては誰にでも道を開き、受け入れてくれますが、弟子となろうとする者すべてを受容するとは限らないのです。
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それは病院の患者と医師のようなものです。
病院では病気の人ならどんな人でも受け入れられます。
しかし、医師になりたい人すべてを医師として認めることはありません。
厳しい訓練の末に、ようやく医師として患者に関わることができるのです。
あなたが霊的病人であることを認め、救いを得たいなら、それは無代価で与えられます。
しかし、弟子となって医師側に立とうとするなら、拒絶と努力の中を通らなければなりません。
ここの所を私たちはよく考え、人生の選択をする必要があるのです。
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キリストの道に従っていきたいと思う人は、まず自分の実力を吟味しましょう。
そして、不足しているとわかったら、耐える力を養成し、自分を訓練して実力を磨くのです。
弱いままでは続きません。
強くなければ弟子として人々に奉仕することは不可能だからです。
ありのままの姿で神の前に立ち、今日の選択をして参りましょう。
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