今日のみ言葉【No.3179】(2023年 9月21日)「恋なすび事件(2)」
ラケルは言った、「それではあなたの子の恋なすびに換えて、今夜彼をあなたと共に寝させましょう」。
(創世記30:15)
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製品、商品、作品には違いがあります。
「製品」は工場で大量に作られ、求められているのは機能性だけ。
役に立つことが製品の目的です。
その製品に、デザインや品質など、上下の価値を付けたのが「商品」です。
「商品」となるとお金によって比較されるようになります。
ところが、「作品」には上記の条件が一切ありません。
芸術作品を考えればおわかりでしょう。
「作品」は世界に一つだけで他と比較することができません。
役に立つか立たないかは問題ではなく、ただ存在していることでその素晴らしさを発揮します。
製品・商品は非人格的なもので、作品は人格的なものだと言って良いでしょう。
新約聖書では、
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」
(エペソ2:10)
とあり、人間は神の作品であることが明記されています。
しかし、恋なすび事件に巻き込まれたヤコブは、人格的な作品ではなく、非人格的な製品・商品扱いされたことが記されています。
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この箇所は、レアとラケルという二人の女性が繰り出す嫉妬の極みの所です。
明確な悪意を持ってやろうとしているわけではありませんが、罪ある人間が神抜きで物事を進めるとこのようになるということがわかる箇所です。
恋なすびを欲しがったことで、ラケルはレアと論争になりました。
そこで彼女はこういう取引をします。
「それではあなたの子の恋なすびに換えて、今夜彼をあなたと共に寝させましょう」
(創世記30:15)
「恋なすびに換えて」のところを、新改訳聖書では「恋なすびと引き替えに」と訳されています。
まさにヤコブは交換可能な製品・商品扱いされたということです。
この時のヤコブに求められていたのは、人格的な愛ではなく、生殖能力です。
その機能さえ果たせばよく、彼の心や人格的関係の有無など全く無視されています。
ヤコブの家庭は健全なものであったとは言い難い雰囲気だったことでしょう。
しかし、神はレアに九男イッサカル、十男ゼブルンを産ませます。
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」
(創世記1:28)
という神の基本的御心は達成されていくのです。
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人はどうあれ、神はあなたをかけがえのない存在だと見ておられます。
人格的でなく、モノ扱いされる時こそ、神の愛の素晴らしさを再発見する時です。
神の作品として自分を見る今日として参りましょう。
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