今日のみ言葉【No.3141】(2023年 7月27日)「ラケルとの出会い(1)」
群れが皆そこに集まると、人々は井戸の口から石をころがして羊に水を飲ませ、その石をまた井戸の口の元のところに返しておくのである。
(創世記29:3)
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コロナ禍でリモートワークが広まると、
「なぜ今まであんな満員電車で毎日通勤していたのだろう」
「なぜ渋滞の道路の中を毎日運転していたのだろう」
という感想が湧きます。
苦痛を強いる作業でも、
「皆がそうしている」
「今までそうだった」
ということで、古い習慣はなかなか打ち破れないものなのです。
創世記29章の最初の数行では、ヤコブが現状の欠点を正確に把握し、それを改善する新しいやり方を提案したことが書かれています。
これは、ヤコブの有能さを示す伏線となっています。
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創世記29章では、
「ヤコブはその旅を続けて東の民の地へ行った」
(創世記29:1)
とあり、ヤコブがいよいよ目的地ハランに到達したことが記されています。
彼は井戸のある場所に行きました。
井戸は水の出る所ですから人々が集まり、母リベカの兄ラバンについての情報を得ることが出来ます。
ところがそこで、ヤコブは
「見ると野に一つの井戸があって、そのかたわらに羊の三つの群れが伏していた」
(創世記29:2)
という光景を見ます。
彼はここで
「おかしい。変だ。なぜ井戸まで来ているのに、羊に水を飲ませずに待たせているのか?」
と思ったのです。
その理由がこう書かれています。
「群れが皆そこに集まると、人々は井戸の口から石をころがして羊に水を飲ませ、その石をまた井戸の口の元のところに返しておくのである」
(創世記29:3)
つまり、群れが集まった頃合いを見計らって、羊飼いたちの共同作業で井戸の蓋となっている石を動かす、という「ならわし」になっていたということです。
皆でやるということが重要視されていたので、その代わり羊に我慢をさせていたわけです。
羊に水を飲ませたら、また石で蓋をし、また皆が集まったら石を取り外し、という非効率的作業が何の疑問もなく繰り返されていました。
ヤコブは古いやり方に縛られている人たちに対して、
「日はまだ高いし、家畜を集める時でもない。あなたがたは羊に水を飲ませてから、また行って飼いなさい」
(創世記29:7)
と言って、時間はまだ十分にあるのだから、さっさと羊に水を飲ませ、その後で家畜を集めたらどうかとアドバイスします。
人々は、
「わたしたちはそれはできないのです。群れがみな集まった上で、井戸の口から石をころがし、それから羊に水を飲ませるのです」
(創世記29:8)
と拒否しますが、この直後、ヤコブは自分のアイディアを行動に移します。
それが彼の未来を切り開いていくのです。
以下、次回に続きます。
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当たり前で意識もしていない古い習慣があります。
神の目でものを見、新たなチャレンジをさせていただきましょう。
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