今日のみ言葉【No.568】(2013年 5月15日)
主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」。
(士師記6:12)
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金藤晃一少年が不登校児として教会に来ていた時代、毎回のごとく田中先生から、
「金ちゃん、不登校する人は大物なんだ。」
と言われていました。
そばで聞いていた私は、
「へー、そうですかねぇ〜。そんなことってあるんですかねぇ〜?」
と、口には出しませんでしたが、心の中でかなりニヒルな思いで聞き流していました。
しかし、当の本人はその言葉をしっかりと受けとめ、
「俺は不登校をしている大物なんだ」
とあっさり信じ込んでしまいました。
あれから20年。
今や全国を駆けめぐり、不登校児のみならず、その問題を扱う先生方を励ます講演家として金藤晃一先生は活躍中です。
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「大勇士」と呼ばれた時のギデオンは、
「ミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていた」
とあります。
彼は人目を避け、見つからないようにひっそりと暮らしていたのです。
この姿のどこが「大勇士」なのでしょうか?
彼の実質は「大勇士」どころか「臆病者」でした。
しかし、神の目から見ると「大勇士」なのです。
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神は私たちの可能性を見て下さいます。
現状の自分がどうあれ、将来の素晴らしい姿を見て下さっているのです。
そしてその姿を今の私たちに語ります。
ですから違和感があるのは当然です。
中には、「バカにするな!」と怒り出す人もいらっしゃいます。
しかし、現実とはかけ離れた感じがする神の自分に対する宣言を受け取った時から、本当にそのようになる道が開かれていくのです。
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ただしこれは、「思いこみの力」とか、「呼び寄せの法則」などという非人格的なものではありません。
天地万物のみならず人間をも創造され、人間以上の人格と力を持っておられる神がそう言われ、共にいて下さるから実現することなのです。
「大勇士よ」と「主はあなたと共におられます」とはセットでなければ本物とは言えないのです。
金藤先生も、高校に復帰する時、震えて震えてどうしようもありませんでした。
そこに大物としての姿はありません。
しかし先生は、
「恐れるな、わたしはあなたと共におる。」
(イザヤ43:5)
の御言葉を、その朝、何度も何度も、念仏のように唱えて教会を出たのです。
神が共におられるから大丈夫、という人格的支えが、人格として生きる人間にとって必要不可欠なのです。
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あなたを「素晴らしい」と言って下さる神様が今日も共におられます。
そのことを信じ、今日一日の歩みを進めて参りましょう。
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