今日のみ言葉【No.1452】(2017年 1月18日) 058 「復活したイエスに出会った女たち」(2)

そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
(マタイ28:8)

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私は高校3年間を理数科で過ごしたので、数学の証明問題の解き方は徹底的に鍛えられました。

「…と仮定すると」
「よって」
「ゆえに」
「これを(1)に代入して」
「(証明終)」

感情など一切入る余地がなく、ただ論理の正確さが求められる過程で、徹底的に無駄を省いた答案には「エレガントな数学的美」が感じられると教えられました。

そのような目で見ていくと、キリストの復活の記事にはそちこちに「これは無い方がシンプルさが徹底するのではないか」と見えるところがあります。

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その一つは、墓を封印していた石が取りのけられてあったことです。

「ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。」
(マルコ16:4)

ところで、復活の体となったイエス様は、閉じられた戸を開けることなく、すり抜けておられます。

「弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。」
(ヨハネ20:19)

ならば、わざわざ岩を転がさなくとも、スーッと墓の中から出て来ることができたはずです。

遣わされた天使は何とムダな力の使い方をしたのだろう、と私は思ってしまいます。

しかしよく考えると、これはイエス様にとって必要だったのではなく、女たちが復活の事実を信じるために必要だったのです。

神は彼女らが信じやすくするための工夫をされ、今後どう生きたら良いのかを理解できるように、御使いをその場に置かれたのです。

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さて、彼女らは天の御使いに会い、イエス様がよみがえられたことを知らされました。

女たちはどのような反応を示し、どのような行動をしたでしょうか。

「そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」
(マタイ28:8)

彼女らは御使いの言葉を聞いただけで、素直に信じて行動に移しました。

まだ実際に復活のイエス様に会ったわけではありません。

顔を見て、声を聞いて、手で触ってみて…、本当にイエス様ご自身かの確認はまだしていなかったのです。

しかしこの女たちは、御使いの言葉を聞いて信じました。

ここが現代の私たちと共通する部分です。

私たちは二千年前とは違い、肉体を持ったイエス・キリストと直に会うことはできません。

聖書の言葉を通してキリストと出会い、そしてその言葉を信じてクリスチャンとなるのです。

その点で、女たちの行動は100点満点と言えましょう。

この世では人の話を鵜呑みにしてよく考えないで受け入れると、騙されてしまうことがあります。

ですから、よくよく確認しなければなりません。

そこに信じる難しさがあります。

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「復活したイエスに出会った女たち」の記事が教えることは、

「無くてもいいはずなのに、なぜか私のために置かれていたもの」

があるということです。

そこに神の愛を認める時、私たちは信じる世界へと導かれていくのです。

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シンプルさを徹底する時、そこにあえてあなたを愛する神の愛が見えてきます。

人生の無駄と思える時期、削ぎ落としてしまいたい過去こそ、神が用意された出会いの場なのかもしれません。

自分の現在を見、過去を振り返り、そこに点々と置かれている神の愛を見出す一日として参りましょう。

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