今日のみ言葉【No.527】(2013年 3月15日)
おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。
(申命記3:26)
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約束の地カナンに入ったのは、荒野で新しく生まれた人々とヨシュアとカレブでした。
モーセはどうなったのでしょう?
エジプト脱出を導いた功労者とも言えるモーセは当然一番最初にその地に足を踏み入れてもおかしくないのではないでしょうか?
しかし、彼はカナンの地を文字通り目の前にして、入ることはできませんでした。
何と神がそれを禁じたのです。
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モーセは神に祈りました。
「どうぞ、わたしにヨルダンを渡って行かせ、その向こう側の良い地、あの良い山地、およびレバノンを見ることのできるようにしてください」
(申命記3:25)
この祈りを神は聞かれなかったどころか、今日の聖句の通り、祈ることを禁じたのです。
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榎本保郎牧師はこの個所について、
「それは私たちにはまったくわからない。ただ神のみ知っておられることであり、神のよしとされたことなのである。」
と語っておられます。
そして、
「聞かれざる祈り」
があることを『旧約聖書一日一章』の中でこう書いておられます。
「祈りの人とはこの苦杯によって練られた人である。このにがき杯を飲み干すことなしに、真の祈り手となることはできない。」
「私たちは主から禁じられるまで祈ったことがあるだろうか。そこまで祈った人だけが、祈りの喜びを味わうことがゆるされるのである。」
「得たりと信じて祈る祈りとは、聞かれるまでに祈る祈りである。聞かれないことを恐れず祈ることである。」
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「聞かれざる祈り」の体験を持つ程までに、神に肉薄する祈りを捧げていきたいものです。
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