今日のみ言葉【No.861】(2014年 7月 7日)
主よ、わたしはあなたに寄り頼みます。とこしえにわたしをはずかしめず、あなたの義をもってわたしをお助けください。
(詩篇31:1)
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今日の聖句は、かのマルチン・ルターが宗教改革を始めるきっかけとなった御言葉です。
当時彼は詩篇を教えていましたが、
「あなたの義をもってわたしをお助けください」
(詩篇31:1)
という個所に疑問を持ちました。
「義」とは「正義」のことですから、正しい者と正しくない者を分ける基準です。
当然それは「裁き」をもたらします。
良い者は神から報いを得、悪い者は滅びる。
事実、イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネさえもそのように考えていました。
「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」
(ルカ3:9)
ルターがそれまで考えていた神とは、「義の神」「裁きの神」「恐ろしい神」だったのです。
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ところが、今日の聖句に出会ってから、ルターは
「神の義が人を助けるとはどういうことなのか?」
「もしかして義とは人を救う恵みなのか?」
という思いが頭から離れなくなりました。
そこに神のインスピレーションが与えられました。
彼が何気なく開いた聖書の個所に衝撃を受けたのです。
「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである。」
(ローマ1:17)
ここから、
「人が救われるのは行いによらず、ただ信仰のみである」
というルターの宗教改革が始まります。
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当時のカトリック教会の教えでは、救われるためには良い行いをしなければならないことを強調していました。
善行を積んで罪の償いをする。死ぬほど泣いて罪の告白をする。
このように、良い行いをすれば神の好意を得られるという考え方は、人間にとって非常にわかりやすい考え方です。
しかしルターは、懺悔や善行は救いのための必須条件ではないと説きました。
救いは「信仰のみ」。
これがルターが見出した福音の核心でした。
ですから、まじめに生きることも善行を積むことも、救われるためには必要ありません。
それらは救われた結果として現れてくるものです。
イエス・キリストを救い主と信じることによってのみ救われる。
これが
「あなたの義をもってわたしをお助けください」
(詩篇31:1)
という旧約の御言葉から導き出された真理だったのです。
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神はあなたを無益な努力から解放して下さいます。
神の義であるキリストを信じ、喜びから出た努力をすること。
これが私たちに与えられている生きる指針であり、恵みです。
救われた感謝で生きていく一日として参りましょう。
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