今日のみ言葉【No.510】(2013年 2月23日)
主はモーセに言われた、「あなたの兄弟アロンに告げて、彼が時をわかたず、垂幕の内なる聖所に入り、箱の上なる贖罪所の前に行かぬようにさせなさい。彼が死を免れるためである。
(レビ記16:2)
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大雪の日に米沢に行く時は、重装備で行くことにしています。
たとえ日帰りでも着替え等の宿泊セット一式。防寒具は2着。もちろん長靴。雪にはまって動けなくなった時用のスコップ等々。
運転の仕方は、スピードを出さず、十分な車間距離、早め早めのブレーキ。
こういう制限の中で冬期の運転をしなければならないのに比べて、1年中、冬も夏も同じ感覚で走れる地方の人は何と幸せかと思います。
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今日の聖句では、祭司アロンでさえ自由に聖所の中を行き来できなかったことが書かれてあります。
神の前に出るには、いけにえを規定通り捧げたり、水で身を清めたり、衣服の着方も決まっていました。
行きたい時、手ぶらでそのまま神の御前に出るなどあり得ませんでした。
もしそんなことをしたら、聖なる神の前に罪ある人間が出ることになります。
それはたとえて言えば、油を引いて熱々に熱したフライパンに水を1滴注ぐようなものです。
あっという間にはじけてしまいます。
「彼が死を免れるためである。」
という表現は嘘ではなかったのです。
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しかし、イエス・キリスト到来以後の今は違います。
イエス様が完全ないけにえとなって下さったので、人間が神の前に出る時には、ただ信仰のみで良いのです。
自由に、どこででも、自分がどんな状況にあれ、神の前に出て祈りを捧げることができるようになりました。
それは雪国の人が一気に首都圏に来たようなものです。
あの重装備は一切いらなくなりました。
どこで路面が凍ってスリップするか分からないという恐れを持ちながら運転しなくてもよくなりました。
身軽に生きられるのがイエス・キリストを信じる人生なのです。
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首都圏を運転しているのに、まだ重装備の方はいらっしゃいませんか?
自分から暴走運転をしない限りスリップすることはないのに、いつ自分の人生が滑って転ぶかとビクビク生きている人はいらっしゃいませんか?
重荷を下ろしましょう。
それは自分を許すことです。
キリストの十字架を信じて、身軽な人生の運転をしていきたいものです。
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今週1週間の全ての罪・とが・過ちが赦されていることを確認して参りましょう。
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