今日のみ言葉【No.1310】(2016年 6月22日) 009 「シモンのしゅうとめ」(3)

イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。
(マルコ1:31)

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次のような会話を耳にしました。

「お医者さんはかわいそうだなあ」

「なんで?」

「治っても、わざわざ『ありがとう』と感謝を言いに行く患者はまずいない。世の中で一番感謝を言われない職業なんじゃないかなあ。」

「なるほど。でも、次にまたお世話になる時に感謝したらいいんじゃないの?」

「何言ってるんだ!次行く時はまたどこか悪くなってるんだから、ここがひどい、あそこが痛い、と訴えるだけで前回の感謝など忘れてる!」

「あ、そうか…」

私たちは感謝を伝えることを怠りがちなのかもしれません。

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シモンのしゅうとめは癒された後、どうしたでしょうか?

「熱が引き、女は彼らをもてなした」

とあります。

彼女は感謝の応答として人々をもてなし始めました。

高熱の体を引きずって、頑張ってもてなしたから、その努力が報われて癒されたのではありません。

あくまでも、癒されたゆえの感謝の応答です。

義務や役割ではなく、したくてたまらない感謝の応答。

人の心の中には、すでに神様からこの心のエンジンが組み込まれていて、ある瞬間から動き出すのではないでしょうか。

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年1回の山形での講演会は、無償で奉仕してくださる方々によって作り上げられています。

教会員は義務として奉仕…、ではありません。希望する人だけに奉仕してもらい、その他の方は観客に回ってもらうか、お家で祈ってもらうかにしていただいています。

クリスチャン以外の方々もご奉仕してくださいます。

スタッフの分のお弁当を無料で出して下さるお弁当屋さんの社長さんは、ご本人が楽しそうに後片付けに来られます。

後でお礼のお菓子を持って行くと

「こういうことをされると自分のしたことの意味がなくなるので、今後一切しないでください」

と苦情の電話をいただきました。

それ以来、私は何も持っていかないことにしています。

舞台の花を飾ってくれる花屋さんも無償のご奉仕を喜んでやってくださいます。

話を聞くと、楽しくて楽しくてしょうがないのだそうです。

ある時は何万円という花材を使い、ある時は野の花を用いてほぼ0円でアレンジし…。

仕事とは一切関係なくお花が作れるので、自由にアイディアが湧きに湧いてくると言います。

いずれの方々も、どこかで神様の愛に触れ、何かの応答をしたいと、喜んで人々をもてなす側に回った方々です。

神様はあなたにそのような人生を用意してくださっているのです。

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イエス様を通して神の愛に出会った時、人の心のエンジンが始動します。

今日も神の力によって動かされる一日となることを期待して、一歩踏み出して参りましょう。

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