今日のみ言葉【No.2992】(2023年 1月20日)「一番偉い者(2)」
「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。
(ルカ9:48)
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私が伝道者となるべく受けた訓練で、最も厳しかったのは、子供に仕えることです。
大人は相手を気づかい、手加減してくれますが、子供は容赦ありません。
ストレートに要求し、私を利用して遊ぼうとします。
それをたしなめたり、礼儀正しくなるように教えようとしたらだめです。
それは相手に謙遜に仕えていることにはならないからです。
イエス様は幼な子を受け入れよと命ぜられました。
子供を受け入れることは難題ですが、それが最も伝道者の我を砕き、謙遜になる方向に向かわせてくれます。
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「誰が一番偉いか」
という問いの陰には、
「自分が一番偉い」
という自惚れ(うぬぼれ)が隠れています。
「イエスは彼らの心の思いを見抜き」
(ルカ9:47)
とはこのことです。
では、「誰が一番偉いか」という問いの正解は何でしょう?
それは、
「いちばん小さい者こそ、大きい」
(ルカ9:48)
です。
イエス様の答えは、謙遜になりなさい、ということです。
イエス・キリストこそ、この生き方をなさいました。
最も低い僕(しもべ)の姿を取り、十字架の受難を通して高くされたのです。
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ただし、子供たちが謙遜の見本ではありません。
子供は自由奔放、したい放題が普通です。
この人たちを
「わたしの名のゆえに受けいれる者」
すなわち、イエス様の名によって子供のありのままの姿をそのまま受け入れる人は、
「わたしを受けいれるのである」
つまり、イエス・キリストを信じているということになります。
次にイエス様は、
「わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」
と語っておられます。
ですから、
子供を受け入れる
↓
イエス様を受け入れていること
↓
そのイエス様をつかわされた天の父なる神様を受け入れていること
となり、幼な子を受け入れ、子供に仕えることによって神を信じていることが表され、その人は小さくされることによって大きくなるということなのです。
人は偉くなろうと心がけて良いのです。
イエス様が示された真理は、最も低い者となることです。
人に仕える僕(しもべ)としてのリーダー。
神の国が求めるリーダーとはこのような人なのです。
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イエス様の名によって幼な子を受け入れる今日として参りましょう。
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