今日のみ言葉【No.495】(2013年 1月30日)

そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。
(出エジプト記17:7)

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人間は奇跡が起きたことを忘れます。

それよりも目の前の困難の方に心が奪われてしまうのです。

イスラエルの民は、紅海が真っ二つに裂け、海の底を歩いて渡った奇跡を体験していました。

しかし、荒野で水が無いという切実な問題の前に、ほんの数ヶ月前の奇跡の体験は吹っ飛んで、モーセに対して不平を言い、

「彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」

とモーセが神に訴えたほど、怒りと不満をぶつけました。

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忍耐と寛容の神は、モーセに、

「あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」

と命じ、荒野で岩から水を湧かせて下さいました。

そこでその地名はメリバ(「論争」の意)、マッサ(「試み」の意)となったのです。

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「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」

と神を試みることは、悪魔がイエス様にそのようにせよと誘惑したほど犯しやすい罪です。

私たちはふと、

「神がいるならなぜこのような試練が続くのか?」

「奇跡を起こし続けてくれるはずではないのか?」

「神様、あなたがここにいるなら、なぜ今すぐ何か事を起こしてくれないのですか?」

と考える時があります。

これが神を試す、ということの実際です。

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神は常に人間に全てのことを明らかにして事をお進めになるというわけではありません。

しかしそれは神が人間から離れて事をなさるということでもありません。

神様には最善のご計画があるのです。

そのことを信じ、神を試す誘惑にさらされたら、神を信頼するほうにエネルギーを費やして参りましょう。

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イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
(マタイ4:7)

イエス様でさえも神を試す誘惑を味わわれたことを心にとめましょう。

そのイエス様は私たちの心の動きを完全に理解し、弱さを憐れみ、愛して下さる方であることを信じて参りましょう。