今日のみ言葉【No.3623】(2025年 4月26日)「生活の処方箋(225)『飛び込む』」

自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
(マタイ16:25)

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「遊行聖人(ゆぎょうしょうにん)」また「捨聖(すてひじり)」と呼び慕われた時宗の開祖一遍上人(いっぺんしょうにん)の心の遍歴を、次のことから伺い知ることができます。

ある時、一遍は次のような歌を作り、師である法燈国師(ほっとうこくし)に差し出しました。

「となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして」

これに対して、師は、不十分と叱りました。

一遍は改めて、次のような歌を作りました。

「となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ」

これに対して、法燈国師は、手巾(しゅきん)と薬籠(やろう)を一遍に与え、印可(いんか)のしるしを与えたと言います。

「声ばかりして」とは、声にとらわれている自分があるのですが、後に、そこになりきっていく一つの世界を獲得したのです。

私たちがあれこれとぼやくのは、距離を置いている時であり、飛び込んで初めて、人生の本物を生きることができるからです。

(※田中信生の『生活の処方箋』より)

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イエス・キリストは、次のように言われました。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」
(マタイ16:25)

自分の利益や安全ばかりを考え、自分が理解できる範囲内のみで生きていると、やがて人生そのものを台無しにする可能性があります。

しかし、自分の利益を第一とするところから、キリストのためにそれを捨てる覚悟で生きていると、逆に人生の真の利益を得るというのです。

イエス様がこの言葉を言われたのは、

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」
(マタイ16:24)

と言われた直後です。

キリストに従う決心をし、そこに自分の命を投げ出し、飛び込んでいく時、自分の命がキリストによって生かされているのを見出すのです。

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神によって生かされていることを実感する毎日を積み重ねて参りましょう。

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