今日のみ言葉【No.2801】(2022年 4月30日)「創世記(15)」
主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
(創世記4:4-5)
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カッとなりやすい性格の人がいます。
周囲の人からすれば、
「なぜそんな些細なことで怒るのか」
と思いますが、本人にとっては、その些細なことこそ、
「なぜそんなことをするのか」
と理解も納得もできないことなのです。
当然、驚き、迷い、あわて、混乱します。
そして、それが短時間の内に
「あの人は私を馬鹿にしているのだ。侮辱された」
という解釈となり、感情が爆発するのです。
従って、なぜそのようなことを相手がしたのかが理解でき、「なぜだ?」が消えると、気持ちが落ち着きます。
それでも相手に怒りの感情を保ち続けているとすれば、それは意図的なものです。
カインが神に抱いていた態度は、この罪の態度にあたります。
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エデンの園から追い出されたアダムとエバに、カインとアベルの兄弟が生まれました。
彼らはそれぞれ
「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者」
(創世記4:2)
となりました。
さて、
「日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした」
(創世記4:3)
とあります。
口語訳聖書の「日がたって」は、新改訳では「ある時期になって」、新共同訳では「時を経て」です。
この言葉から、カインとアベルは分別のある成人となり、主を礼拝する者となっていたことがわかります。
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彼らは神に捧げものを持ってきました。
ここでカインの「なぜだ?」が起こります。
「主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかった」
(創世記4:4-5)
という結果となったからです。
弟のアベルの供え物は受け入れられ、自分の供え物は拒否された…。
なぜでしょう?
カインからすれば、わけがわかりません。
「カインは大いに憤って、顔を伏せた」
(創世記4:5)
となるのも当然ではないでしょうか?
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ここで私たちが考えに入れておかなければならないことは、神は常に正しいということです。
全知全能であり、義と愛のかたまりである創造主なる神の側に傷や瑕疵(かし)はありません。
ですから、神は言い訳も説明もなさいません。
神がカインに向けて言われたことは、
「正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう」
(創世記4:6)
でした。
彼は神に向き合い、自分のしたことに向き合い、その事実と自分の気持ちに向き合わなければなりません。
正しいことをしているなら、それは容易なことなのです。
さて、一体何が原因でカインの捧げものは神の基準を満たさず、彼の心は実際どういうものだったのでしょう?
以下、次回に続きます。
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神から「No!」(ノー!)と突きつけられた時こそ、自分自身と向かい合わなければならない時です。
怒りを感じた時こそ、顔を伏せずに、神に向かって顔を上げる時として参りましょう。
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