今日のみ言葉【No.1053】(2015年 6月 2日)

あなたはそこで死に、あなたの華麗な車はそこに残る。
(イザヤ22:18)

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アメリカ大リーグを自由契約になった藤川球児投手は、阪神タイガースへ戻ることが有力視されていましたが、なんと四国独立リーグ、自分の地元の高知のチームへ入団することを決めました。

年棒1億円の選手が月給10万円のチームへ逆オファーを出したのです。

再起の場所を決めたポイントは

「お墓にお金を持っては入れない」

という彼の考え方の変化でした。

右肘を故障し、手術をした後のリハビリ中に、

「たった5メートル投げられるようになって喜んでいた。元気になったら、投げる喜びを一番に感じられる場所で腕を振りたい」
(スポニチアネックスの記事より)

と思うようになったのです。

投手生命の危機に瀕した後、治ったから良かっただけで終わらず、人生観まで変えた藤川選手の今後が楽しみです。

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イザヤは第22章で、アッスリヤの大軍が神の裁きにより一夜にして滅んでしまった後のイスラエルの態度を責めています。

イスラエルはアッスリヤに攻め滅ぼされる寸前だったのです。

そこを神に救われたのですから、今までの自分たちの態度を改めて、神に立ち返り、新しい生き方をすべきでした。

しかし彼らが実際行ったことは、

「あなたがたはなぜ、みな屋根にのぼったのか。叫び声で満ちている者、騒がしい都、喜びに酔っている町よ。」
(イザヤ22:1-2)

と戦勝気分に酔い、

「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』。」
(イザヤ22:13)

と、「今が良ければそれで良い」という刹那主義・快楽主義に陥っていました。

そこには救われた喜びに対する応答の生き方はありません。

事の背後で動いておられる神を見る目がなかったのです。

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その代表的例として執事セブナが挙げられています。

彼は王の側近として栄華を極めた生活をし、アッスリヤの対応にも当たりました。

しかし、信仰の欠けた彼には神の奇跡的介入が見えませんでした。

後に彼は職を追われ、同じくアッスリヤとの交渉に臨んだ信仰深いエリアキムがその地位を得ます。

セブナは

「あなたはそこで死に、あなたの華麗な車はそこに残る。」
(イザヤ22:18)

という人生の終わり方をしたのです。

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あなたの人生では何を残されますか?

それは死ぬ直前に考えることではないようです。

藤川選手のように、メジャーからも日本のプロ野球からもオファーが来る現役の今、考え、決断し、実行することなのです。

あなたが今死んで、華麗な車だけが残った…、というのではなんとも空しい人生ではないでしょうか?

たとえ今死んだとしても、そこに神様が生きた跡が見える、という人生を歩み続けたいものです。

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「私の人生を通して、神様が生きて働いた跡が見えるような生き方をしたい」

そのような祈りを捧げる今日としていきたいものです。

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