今日のみ言葉【No.2782】(2022年 4月 7日)「創世記(2)」
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
(創世記1:2)
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御言葉メールの聖書通読シリーズが始まりましたので、創世記1章の次は2章と思われた方がいらっしゃるかもしれません。
創世記の最初の数章は後の人類の行く末を決める大事な箇所なので、ゆっくり丁寧に進んでいく予定です。
今回は創世記第1章の2節です。
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神による創造は、2節で
「地は形なく、むなしく」
(創世記1:2)
と表現されています。
これには大まかに分けて2種類の解釈があります。
ひとつは英語の"was"(〜だった)と訳し、神様はまず創造のための材料を用意し、その後に秩序立てて万物をお造りになったという考えです。
もうひとつは"became"(〜となった)と訳し、完璧な天地創造が一旦壊され、グチャグチャのどうしようもない状態から神は今の世の中を造られたとする考えです。
初めから何も無くても、また、せっかく築いてきたものがメチャメチャにされてしまったとしても、神はそこから新しいものを造ることのできる御方です。
たとえ「やみが淵のおもてに」あって、私たちには希望も先も何も見えない状態に置かれているとしても、
「神の霊が水のおもてをおおっていた」
(創世記1:2)
というところに、無から有の創造がなされるのです。
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フーテンの寅さんを演じた名優、渥美清さんが洗礼を受けていたことをご存知でしょうか?
渥美さんは子供の頃にお父さんを亡くし、20歳過ぎまで不良っ子だったとご自分で言っておられます。
また、肺結核で右肺切除の身体ですから、健康に関してはずっと不安続き。
このような人生を負わされたら、神など信じられず、無神論者となるのも無理はありません。
しかし、その渥美さんを支えたのがクリスチャンの奥様の正子さんです。
彼女を心から愛した渥美清さんの最後を、付き人として間近で渥美さんに仕えた篠原康治さんがこう書いています。
「あの無神論者だった渥美さんが、亡くなる直前にクリスチャンの洗礼を受けたことでも、正子さんに捧げた愛の深さがわかります。白百合出身で学生のころからクリスチャンだった正子さんと、天国に行ったあとも結ばれていたい、たとえこの宇宙が消えてなくなっても、いつまでも二人三脚でいたい……と、人生の最後の最後で、そう願ったからに違いないからです」
(『生きてんの精いっぱい・渥美清』、篠原康治著、主婦と生活社、P104)
このような信仰への導かれ方もあるのです。
そこが神の霊でおおわれているなら、「形なく、むなしく、やみがおもてにあり」という状況であっても、神は御心のままに働いて下さいます。
まして、渥美さんは「愛」という「神のかたち」を持った人でしたから、神様も働きやすかったのかもしれません。
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私たちも神の霊を持った存在として生き続ける時、神の創造のわざに参与することができます。
空しさを感じる時も、無から有を呼び出す神を信じ、人生を歩む力を得て参りましょう。
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