今日のみ言葉【No.2756】(2022年 2月28日)「キリスト教イロハ(222)『ヤコブの手紙』」

イグアスの滝

そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
(ヤコブ1:22)

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昔、教会のご近所に、世の中の裏も表も味わったようなおじさんが住んでおられました。

その人に挨拶すると、呼び止められ、お話しを聞かせていただく機会がありました。

何を言われるのかと緊張して待っていると、いきなり、

「俺はお前たちの言っていることに興味はない。お前たちが何をやっているかを見ている」

思わず背筋がピンと伸びました。

そして次の言葉が、

「そこら辺はお前んとこはいいなあ。入る前と後で顔が違うものなあ。みんなニコニコして出て来る」

と普段は恐い顔のおじさんが笑顔で言われた時には、本当にホッとしました。

御言葉を語るなら、それを行う人にならなければならないと、神様は世の人を通して教えられたのだと思わされました。

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ヤコブの手紙の背景には、信者の中に自由の乱用から不道徳な風が流行したという事態があります。

ヤコブは、キリスト教生活の規準を示し、無節操の人々を正しい道に導く必要を感じ、この手紙を書きました。

紀元62年頃に書かれ、

「離散している十二部族の人々へ」
(ヤコブ1:1)

とありますから、ユダヤ人クリスチャン向けですが、これはキリスト者全体を指すものであると拡大して考えて良いでしょう。

主題は信仰による実践のすすめです。

どんなに神の言葉が語られても、それに対して行いが伴わなければ空しいことを示しています。

「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか」
(ヤコブ2:14)

ヤコブがこう書いたのは、彼が戦っていたのが無律法主義者たちだったからです。

一方、よく比較されるパウロは律法主義と戦っていました。

この点でヤコブの手紙とパウロが書いた手紙を同じ土俵に乗せて論じることはできないことが理解できるのではないでしょうか。

パウロは、恵みにより、信仰によって救われることを論じ、一方ヤコブは、そうやって救われた後、愛と信仰に基づく善行について語っているのです。

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ヤコブの手紙の内容は以下2つに大別されます。

(1)行為による信仰の完成(1章2節〜2章)

(2)行為による人格の支配(3章〜5章)

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御言葉を行う人となるよう、日々精進して参りましょう。

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