今日のみ言葉【No.2717】(2022年 1月11日)「死に対する権威(2)」

町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。
(ルカ7:12)

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聖書中で最も見事な「伏線」は、イサクが捧げられる箇所でしょう。

神はアブラハムにこう命じられます。

「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」
(創世記22:2)

旧約聖書だけを読んでいるなら、ここは神がアブラハムの信仰純度がどのくらいまで到達したかを試した箇所として知られています。

そして、彼の信仰が100%のものであることが示されたので、神はその信仰に応じてイサクを救われたのだという理解に落ち着きます。

しかし、新約聖書を読む者は、神のストーリーの最終部分を知っているので、神が埋めておいた伏線の回収に立ち会えます。

「あれ?これと似たような話を聞いたことがあるぞ。愛するひとり子をささげる。代わりに犠牲となるものがあって救われる…」

「モリヤの地とはエルサレム周辺の地域。神が示す山とはもしかしてそのエルサレム?」

そうです。あなたが考えておられる通りです。

この創世記の箇所は、神が愛するひとり子イエスを十字架につけ、その犠牲によって人類を救おうとされたというご計画の「伏線」だったのです。

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ここまでお読みになれば、今日の聖句の中にある

「あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので」
(ルカ7:12)

というところで、ピンと来るものがあるでしょう。

ルカによる福音書で、著者ルカは用意周到にこのような伏線を張っています。

イエス様はたくさんの癒やしの奇跡をなさったであろうに、ルカはその中から特に「子ども」の癒やしを「ひとり子」だけに限定して、次の3例だけ取り上げているのです。

ナインのやもめの息子(7章)、会堂司ヤイロの娘(8章)、悪霊につかれた息子(9章)、いずれもひとり子です。

ひとり子が復活する、という神が隠された伏線が見えるでしょうか?

「事を隠すのは神の誉であり、事を窮めるのは王の誉である」
(箴言25:2)

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さて、前節では大ぜいの群衆を伴った「命の行列」がナインの町に入ろうとしたのに対し、今日の聖書箇所では同じ町の門から「死の行列」が出て行こうとしています。

「あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだ」
(ルカ7:12)

のです。

それはどんなに悲しいことだったでしょう。

そして、頼りがいのあった息子を失った今、このお母さんは町の人に頼る他、生きるすべはなくなってしまいました。

律法ではやもめを保護することが定められています。

「大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた」
(ルカ7:12)

とありますから、最低限、生きる保証はあったでしょう。

しかし、精神的痛手は飲み食いだけで収まるものではありません。

深い悲しみと、将来の不安と、そして、もう元には戻らない現実の壁に立ち塞がれ、この母は生涯の残りの日々を過ごす他なかったのです。

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このような限界の中に命の行列が入り込んで、勝利を得ることができるのでしょうか?

答は「伏線」の中にあります。

すでに伏線が回収されてある未来を知る者は、現在の限界の中に希望を見出し、働きを続けることができるのです。

死の暗闇の中に光を見る人生。

それが死を打ち破ったイエス・キリストと共に歩む人生です。

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神が見る未来を共に見つめる今日でありますように…。

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