今日のみ言葉【No.2694】(2021年12月 3日)「霊的リーダーの資質(4)」
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
(ルカ6:41)
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人が笑う要素のひとつに「期待の裏切り」があります。
たとえば、あなたが
「大きな栗の〜♪」
と歌い出せば、聞いている人は次に
「木の下で〜♪」
と来るだろうと無意識に思っています。
ところが、続く歌詞が全く違ったものだと、人は期待が裏切られ、思わず笑ってしまうのです。
そして、そのギャップが大きければもっと笑います。
イエス様のユーモアもこの基本をきちんと押さえています。
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今日の聖句は「目の中にある梁(はり)のたとえ」としてよく知られています。
古民家を訪れると、縦方向に柱があり、天井付近に太い材木が横断して組まれているのを見ます。
これが梁(はり)です。
正式には、「建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材」のことだそうです。
イエス様はこの太くて大きい材木を「期待の裏切り」の材料として用いられました。
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まず、
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら…」
と来たら、弟子たちは
「自分の目にある『ちり』を認めないのか」
と、同じ「ちり」という言葉が使われるものだと勝手に推測するでしょう。
ところが、あなたがたの目の中にあるのは太い材木だと言われているのですから、見事に期待が裏切られ、また、そのギャップの大きさに笑いを誘われます。
さらに、ビジュアルな情景を思い浮かべれば漫画的な絵が浮かびますし、イエス様が真顔で身振り手振りも使って話されたとしたら、その落差に苦笑どころか爆笑となっていたことでしょう。
大笑いしてリラックスしたところで、初めて
「自分の大きな誤りに気がつかず、相手の小さな道徳的欠点を責めることの非」
を認め、受け入れることができるのです。
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さて、自分の目から梁を取りのけるにはどうしたらよいのでしょうか?
旧約的見方では、
「自分の欠けに気づき、自分の批判されるべきことを反省する」
ということになるでしょう。
しかし、新約の時代である今は、既に新しい時代になっています。
救い主イエス・キリストが到来し、神との新しい関係ができているのですから、
「自分の目に梁があるにもかかわらず、私たちを受け入れて下さる神の恵みに気づく」
ことがこの時代の方法です。
では、相手の目からちりを取りのけるとはどういうことでしょうか?
旧約では、愛と謙遜とを持って忠告するということになるでしょう。
新約では、相手の罪の赦しと癒やしのために祈れるようになることです。
これを我力でやろうとすると、つまり律法的にやろうとすると、私たちの内に罪の性質が目覚め、妨害する力が働き出します。
ですから、聖霊の力によってそうさせていただけると信じて歩むのです。
自分自身が変えられるように神に祈り、神の力によって具体的生活を進めるのが信仰生活のあり方です。
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今日も神の恵みを意識し、聖霊の働きにおゆだねし、神の御心を行う者として歩んで参りましょう。
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