今日のみ言葉【No.1427】(2016年12月 3日) 049 「ゲッセマネの園でのイエスと弟子たち」(2)
「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」
(マルコ14:37-38)
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会社の朝礼で前向き肯定的な話をする社長さんは100人に1人いるかいないかでしょう。
ほぼすべての社長さんが否定的な暗い話をなさいます。
「皆さんご存知の通り、うちの会社は先月、売上が伸びず、このような厳しい社会状況にあるということも覚えて、今週も頑張っていただきたい…」
経営の最前線で戦っていらっしゃる実感をそのまま伝えておられるのでしょう。
学校も同じで、私が学校で講演をする前、挨拶に立つ校長先生も社長さんと全く変わりません。
さて、社員や生徒の皆さんは社長・校長の話に共感し、「よし、それならやってやる!」と意欲満々、「社長ガンバレ!」という意味を込めてニコニコ顔で聞いている…、でしょうか?
いえいえ、そんな人はいません。
視線を下に向け、ただひたすらその時間をやり過ごすことにのみ全精力を傾けます。
眠くもなります。あくびを噛み殺している人も見えます。
「抵抗」。これが今日のキーワードです。
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弟子たちはゲッセマネの園で眠りこけていました。
「彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。」
(マルコ14:40)
本当に意識朦朧となるくらい、強烈な眠気に襲われていたのです。
漁のためなら徹夜で働いても平気なはずの屈強なペテロたちが、イエス様の切なる求めにも関わらず、この時、眠りこけてしまったのは不思議なことです。
なぜでしょうか。
まず、祈らせまいとするサタンの誘惑があったことが考えられます。
祈っても効果が現れるように見えないと、私たちは簡単にやる気を失います。
十字架という神の御心が達成されるためには、祈りが必要です。
祈りを妨げるサタンの誘惑があり、それが眠気を誘ったことは間違いないでしょう。
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次に考えられるのは、十字架の死への抵抗です。
人は自分の欲求と反対のことを求めるのには抵抗があります。
イエス様はこれ以前に何度も自分は十字架で死ぬのだということを弟子たちに告げています。
しかし誰もそのことを本気にしません。
あって欲しくないことだったからです。
彼らの内の本音は、
「この人がやがて王様になった時、自分は大臣として取り上げてもらいたい」
ということでした。
自分が得をするためにイエス様について行ったのです。
その彼らに対して、
「お前たちのひとりが私を裏切ろうとしている。私が十字架につくことができるように祈ってくれ」
と願っても、
「みんな仲良し。裏切り者が出るなど心配しただけ。十字架など夢物語。やがて我らはイエス様を王として天下を取る!」
というのが彼らの願いですから、イエス様のリクエストに対して出てくる反応は、抵抗です。
表向きに堂々とそれを出せないので、眠気という形で肉体的に抵抗を示したもの、と考えるのが一番妥当だと思われます。
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さて、このような弟子たちに対して、イエス様が語られた言葉は、
「心は熱しているが、肉体が弱いのである」
(マルコ14:38)
でした。
弟子たちは体が弱かったのでしょうか?
そんなはずはありません。
むしろ、「肉体は熱しているが、心が弱いのである」と、心と体を逆にした方が正確です。
イエス様側からすれば、あれほど教え諭したのに、我流のやり方・願いを貫き通そうとする弟子たちの姿が見えます。
結局、自分の言ったことが全く弟子たちの身についておらず、全ては無駄であったと見えるその時、イエス様は彼らにこう言われたのです。
「心は熱しているが、肉体が弱いのである」
(マルコ14:38)
これは弟子たちへの愛の言葉です。
祈れず、眠りこけ、何の助けにもならない弟子たちに対してのいたわりの言葉です。
ただ自分の願望達成にのみ関心があり、イエス様が向かう十字架には全く無関心で、心が冷めている弟子たちに対して、
「あなたの心には熱いものがある」
と全く反対のことをイエス様はおっしゃいます。
また、徹夜をしてもビクともしない頑強な肉体を持っているのに、抵抗を示して眠くなってしまう弟子たちに対して、
「肉体が弱いのだ」
と語られます。
彼らの弱点や矛盾を追求せず、かばっているイエス様の思いが感じられます。
地上の生涯の中で最も苦しい時であるはずなのに、イエス様は弟子たちを愛することをお忘れになりませんでした。
この途方もなく大きい愛で包まれていることに気づかない弟子たちであり、また、私たちもそうなのではないでしょうか。
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出会っているのに出会いを感じない。愛されているのに愛を感じない。
それが私たちです。
しかし、キリストの愛は全く変わらないことを知り、それを信じて歩む一日として参りましょう。
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