今日のみ言葉【No.2568】(2021年 6月22日)「キリストの癒し(1)」

日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。
(ルカ4:40)

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アメリカで大規模な癒やしの集会に出席した時のことです。

癒やされて車椅子から立ち上がり、踊り出して喜んでいる人々を目にしました。

「もしかして主催者側が用意したサクラかな?日本でよくあるヤラセか?」

と疑った私の目に次に飛び込んできたのは、もっと衝撃的なシーンでした。

それは、癒やされないでそのまま車椅子で帰っていった人々の無表情な顔です。

それで私は

「この集会は人間的意図でなされているのではない」

と考えることができました。

神が主権を持っておられ、聖霊が自由に人を癒やし、ある人は癒やされないままでいるのです。

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イエス・キリストは愛の御方ですので、基本的に人を癒やそうとなさいます。

また、旧約聖書で預言された救い主メシアは人を癒やすとされています。

救い主であれば必ず癒やしをなし、癒やさないメシアなどいないのです。

ですから、イエス様は公生涯の初期の段階で、ご自分がそのメシアであることを証しするために、次々と病の癒やしをなさいました。

「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」
(マタイ9:35)

今日の聖句では、それに人々の信仰が加わっています。

カペナウムの会堂での悪霊の追い出しと、それに続くペテロのしゅうとめの熱病の癒やしを見聞きし、安息日が終わる日没を境に、人々はイエス様の癒やしを期待して病人を連れてきました。

「日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった」
(ルカ4:40)

ただし、イエス様が積極的にご自分から癒やしをされた時期はある時点で止まります。

イスラエルが民族の公式見解として正式に「イエスはメシアではない」と拒否した時点です。

「また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、『彼はベルゼブルにとりつかれている』と言い、『悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ』とも言った」
(マルコ3:22)

それ以降、イエス様はご自分を信頼してやってくる人たち、つまり、信仰を持って来る人々に対してのみ癒やしをするようになりました。

癒しによってご自分がメシアであることを証明することは、拒否された時点で無駄になったからです。

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では、なぜ、先の車椅子の例のように、キリストへの信仰があるのに癒やされる人と癒やされない人が出るのでしょうか?

完全な解答を出すには大きすぎる問いですが、考えるヒントとなる種々の答を次回提示し、皆様の信仰生活の助けになれればと思います。

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私たちは癒やされて良い者なのです。

健康という神の祝福を求め、御心をなす者として今日も励んで参りましょう。

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