今日のみ言葉【No.2550】(2021年 6月 1日)「郷里ナザレでの拒絶(2)」
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
(ルカ4:17)
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火曜・金曜はルカ講解シリーズで、しばらくナザレでの出来事を丁寧に追っていきますので、前回のことを頭に入れながらお読み下さい。
特にこの箇所は旧約聖書の知識を前提として記されており、また、当時のユダヤの習慣や礼拝の仕方を知らなければわからない部分があるので、日本人読者にとっては、「字はわかるが意味がいまいちわからない」ということになりがちです。
ゆっくりと、丹念に読んで参りましょう。
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故郷ナザレに帰ったイエス様は、
「安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」
(ルカ4:16)
とあります。
これ以降の箇所は、当時のユダヤ人の礼拝順序を知らないと
「なんだ、聖書を読んだだけか」
と思ってしまうようなところです。
これは現代的に言うなら、会堂管理者が有名人となったイエス様をその日の説教者として招いたということです。
朗読は立って行われますが、律法の教師であるラビは教える時は腰を下ろして座って教えます。
従って、
「イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると」
(ルカ4:20)
とは、朗読を終えたイエス様が自分の席に戻ったのではなく、説教者の席に座ったということです。
いよいよその聖書の箇所からメッセージが語られるので、
「会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた」
(ルカ4:20)
となったわけです。
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イエス様がお読みになった箇所は、イザヤ書61:1-2でした。
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1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。
これは主がわたしに油を注いで、
貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、
捕われ人に放免を告げ、
縛られている者に解放を告げ、
2 主の恵みの年と
われわれの神の報復の日とを告げさせ、
また、すべての悲しむ者を慰め、
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さて、以下がイエス様が読まれた部分です。
多少の訳語は違いますが、お読みにならなかった箇所があります。
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18 「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」
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ご自分の目で確かめて下さい。
このようなこまめな努力が聖書理解を深める鍵となります。
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イエス様がイザヤ書から語るメッセージは何を意図していたのでしょうか?
それは次回に譲ります。
聞いたことを鵜呑みにしないで、自分の頭で考え、自らの選択をもって今日の一日を歩んで参りましょう。
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