今日のみ言葉【No.1345】(2016年 8月 3日) 021 「悪霊につかれたゲラサ人」(2)
ところが、そこの山ベにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。
(ルカ8:32)
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コンピューターのプログラマーが嫌いなことは、同じことの繰り返しです。逆に好きなことは、シンプルさです。
たとえば「1から100まで足すといくつ?」という問題に対して、
「1+2は3。この3に3を足して6。次はこれに4を足して10。1+2+3+4=10。ふ〜、さて次の5を加えて、そして…」
と手を動かして地道に足し算を繰り返す、というやり方をしません。
「1+2+3+……+98+99+100」
という全体を眺めて、パターンや法則を探そうとします。
すると、両端を順々に足せば、全て「101」になることが見えてきます。
1+100=101、2+99=101、3+98=101、という具合です。
このペアが50組あるので、
101×50=5050
という極めてシンプルな計算で目的達成ということになります。
1時間同じことを繰り返して答を出す方法と、解決策を55分考えてから5分で答を出す方法。
さてあなたはどちらのやり方が好きですか?
あるいは、どちらのやり方に価値を見出すでしょうか?
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人々が困り者だと思っていたこの悪霊につかれたゲラサ人に対して、イエス様は莫大な価値を見出されました。
悪霊はイエス様を恐れ、この人から出て豚の中に入ることを願い、許されます。
「ところが、そこの山ベにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。」
(ルカ8:32)
異邦人のゲラサ人や現代の私たちにとって、豚は普通の動物ですが、ユダヤ人にとって、豚は旧約聖書が定める「汚れた動物」です。
「また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。」
(申命記14:8)
悪霊はその汚れているとされた豚の中に逃げこむことを願い、許されたのです。
マルコによる福音書を見ると、その数は2000頭で、豚は全部死んでしまったことが記されています。
「イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。」
(マルコ5:13)
これは豚を飼っていた人にとっては災難です。現代の日本なら数千万円の被害と推定されます。
しかし、彼は助かり、人間性を回復したのですから、喜ぶべきなのではないでしょうか?
ところが、この地方の人々は喜ぶどころか、恐怖に襲われ、イエス様に帰ってくれと頼んだのです。
人の命よりも豚の方が大事だったのでしょうか…。
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イエス様は、私たちの価値を豚2千頭どころか、全世界をもうける以上の価値ある存在として見ておられます。
「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」
(マタイ16:26)
私たちは神の子の命を捧げても惜しくない尊い存在として見られているのです。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネ3:16)
ここに私たちがどんな人間であろうと高価で尊く、その価値は永遠に変わることはないという保証があります。
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自分の存在価値を疑う時には、聖書に帰るのです。
人生の拠り所はそこにあります。
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