今日のみ言葉【No.2519】(2021年 4月21日)「キリストの名によって求める」
今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
(ヨハネ16:24)
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教会に来て最初にお祈りの仕方を習った時、私は、
「最初と最後だけ『決まり文句』で、間の中身は自由で良いのだな」
と理解しました。
私の言う決まり文句とは、「天の父なる神様」と「イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン」です。
まだまだ理解が浅い段階でしたが、祈りへの抵抗感がかなり下がって楽に祈れるようになったことを覚えています。
さて、「天の父なる神様」は呼びかけで、祈りの対象をはっきりさせること、そして、「アーメン」は「そのとおりです」の意だということはわかりますが、「キリストの名によって」とはどういう意味なのでしょうか?
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神は聖なる御方なので、罪ある人間とは交流をしません。
従って、原則的に人間の祈りは聞かれません。
ところが、ご自身の御子イエス・キリストは同じく聖なる方なので、キリストの言うことならお聞きになります。
ですから、「キリストの御名によって祈る」と、その聖なる御方を通して父なる神に人間の祈りが届くのです。
父なる神はご自身の方からこの祈りの通路を開いてくださいました。
それほど神は私たちとコミュニケーションを持ちたいと願っておられ、愛して下さる御方なのです。
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私は長い間、この「キリストの名」によって祈る方法を誤用してきました。
今日の聖句に、
「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう」
(ヨハネ16:24)
とあるので、祈りの最後に「キリストの名によって」と付け加えると、何でも願いはかなうという魔法の呪文のように思ってしまったのです。
このように祈ると、求めた通りに与えられる時と、求めても与えられない時がありますから、その結果に混乱し、
「聖書に書いてあるとおりに祈ったのになぜ神様は聞いてくださらないのか」
と神に抗議したり、我力で祈るので疲れ果て、祈りをやめてしまうことにもつながりかねません。
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これを理解するための一例として、公共工事のことを考えてみます。
あなたが工事を請け負う会社側で、住民に説明しなければならないとします。
その時に、
「これは○○県によって成される工事です」
と言えば、あなたはその県の知事の代理として話しているのと同じです。
これと同じことがキリストの名によって祈る時に起こります。
キリストの名によって祈る時、あなたはキリスト側にいて、その代理として認められ、父なる神に向かって祈っているのです。
建設会社の社員が県知事と同じ考えでいるように、祈る側もキリストと同じ考えでいることになります。
ここにおいて、自分の欲求を押し通すためにキリストの名を用いるのではないことがわかります。
イエス様の御心と自分の思いを一致させて祈ることが、
「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう」
(ヨハネ16:24)
という御言葉の意味なのです。
ここまで来れば、後は幅広く、数多く祈ってみて、試行錯誤の中、神の御心を求めていくという作業になります。
神との祈りの世界がさらに深められていくのです。
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キリストと共に父なる神の前に出て、祈る時を持って参りましょう。
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