今日のみ言葉【No.2506】(2021年 4月 6日)「マリヤの賛歌」
わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救主なる神をたたえます。 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
(ルカ1:46-48)
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法隆寺棟梁の西岡常一氏は、薬師寺の伽藍再建で多くの大工が集まった際、
「わからないことがあったら何でも遠慮なしに聞きに来なさい」
と言いました。
ところが聞きに行くと、
「あんたはどう思うのか」
と逆に聞き返されたそうです。
これを西岡氏の直弟子の小川三夫氏は
「だから考えなしで、ただわからんから聞いてみようと思ったやつは、そうそうに帰ってくるんだ。考え抜いて、自分はこう思うんだが、というのがなくちゃ聞けないんだよ」
(『不揃いの木を組む』、小川三夫著、文藝春秋社、P47)
と評しています。
名人の弟子育ての妙です。
救い主の母になるという御告げを受けたマリヤは、そのことを思い巡らし、後世の私たちに恵みを与える「マリヤの賛歌」を残しました。
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マリヤは自分なりによく考える人だったことが聖書に記されています。
「しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた」
(ルカ2:19)
「それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた」
(ルカ2:51)
これは正解にたどり着くまでよく考えなさいということではありません。
人間の頭でわかることはありますが、脳の容量をオーバーして考えようにも考えつかないという状況であっても良いのです。
自分の力で考え、わからなくても思い巡らし、そこで出す自分なりの結論が大事なのです。
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マリヤは、想像を遥かに越える御使いの知らせを受け、我が身に起こることについて考えました。
救い主を我が胎に宿すことなどどう考えてもわかりません。
しかし、わかることがあります。
それは、神のわざを理解できる自分ではないということです。
ここにおいて、マリヤは自分と神の位置の圧倒的違いを示されたことでしょう。
そこから出た結論が
「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」
(ルカ1:48)
という謙遜さです。
自分を低くするのではなく、すでに神の前に低い自分であることを理解し、その私に施された恵みを賛美しているのです。
マリヤは自分なりに考えたことを神のみ前に賛美として差し出しました。
私たちはそこに神と人間との間の美しい関係を見出すのです。
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さて、私たちが神に答を求めて祈る時、先の西岡氏のように
「あんたはどう思うのか」
と神様から聞き返されたことはないでしょうか?
考えましょう。
そして、どんなにみすぼらしい答えであっても、自分の答えとして神様に持っていくのです。
そのようにして、私たちは神の御手の中で育てられていくからです。
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あなたの思いを神に伝える今日として参りましょう。
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