今日のみ言葉(2011年6月2日)【No.74】
「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにお
ける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」
(ローマ8:39)
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キリスト教の洗礼式は結婚式にたとえられます。
結婚は、当人同士がお互いに愛を確認し合い、婚姻届を出せば成立します。しかし多くの
場合、結婚式をして人々に二人が結婚したことを知らせます。
クリスチャンになるということは、キリストと共に生涯を歩むという意味で結婚と同じで
す。
キリストの愛を受け入れ、「あなたを救い主として信じます」と告白すれば、それだけで
クリスチャンとなります。
しかし、イエス様は洗礼を受けることを命ぜられました。結婚式と同様、神と人との前で
自分はクリスチャンであることを明らかにするのです。
洗礼を受けて初めてクリスチャンになれるのではなく、既にキリストを信じてクリスチャ
ンなので、そのことを公に表すのが洗礼式なのです。
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キリスト教の結婚式の最後に、司式をする牧師が結婚の宣言をします。
「神が合わせられたものを、人は離してはならない」
(マルコ10:9)
この「離してはならない」が「引き離すことはできない」と同じ言葉なのです。
キリストはあなたと離婚する意思がない、ということを今日の聖句は語っています。
私たち人間の気持ちはあれこれ変わります。しかし、イエス様には別れる意志はゼロで、
あなたがどうあれ、従おうが逆らおうが、あなたを愛し続けます。
この決して揺れ動くことのない方に触れていくと、揺れ動くあなたの震えが収まり、キリ
ストの平安の中にいることを発見するのです。
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私たちの教会に佐藤弘一さんという方がおられました。
小学生の娘さんを英語教室に通わせたいということがきっかけで教会に来られ、チャペル
タイムで初めてキリストの福音に触れ、毎日のように教会に来られるようになりました。
佐藤さんは大酒飲みで、家族や周りの人にたびたび迷惑をかけていることは知りつつも、
そんな自分を制することができないことに悩んでいたのです。
その私のありのままで愛されている。
弘一さんがキリストの愛を受け入れ、自分も洗礼を、と考えていた頃です。彼のお父さん
が心配顔でこう尋ねてきました。
「弘一、どこか体の具合でも悪いのではないか?最近、全然酒飲んでないぞ。」
はっと気づくと、大酒飲みの自分が2週間酒無しで過ごしていたことに気づきました。キ
リストの平安で心が満たされ、心の空しさや隙間をアルコールで埋める必要がなくなって
いたのです。
神の愛を身をもって体験された佐藤弘一さんは、その後洗礼を受けられ、イエス様と共に
歩む生活を始められました。人生の大きな試練に出会う時も、「神様の変わらない愛で愛
されている」という信仰に満たされ、周りに平安をまき散らしながら、天に凱旋していか
れたのです。
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キリストの私たちへの愛は絶対です。どんなものも、キリスト・イエスにおける神の愛か
ら、わたしたちを引き離すことはできません。
その愛を信じて、今日一日も確かな一歩を積み重ねて参りましょう。
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