今日のみ言葉(2011年6月28日)【No.100】
「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負わ
れ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの
年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必
ず負い、持ち運び、かつ救う。」
(イザヤ46:3-4)
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今日の聖句はイスラエルがバビロニアに補囚された時に、預言者イザヤによって語られた
個所です。
「残ったすべての者」とは捕らわれ、生き残った者をいいます。財産も、友人も、住み慣
れた土地も、プライドも、全てを失い、異国の地で敗者側として生きているイスラエルの
民のことです。
この民の目の前をバビロニアの巨大な偶像神が荷車に積まれ、勝利者として通っていきま
す。
しかし聖書は、それらの偶像は人によって運ばれ何の力もないものであり、人を支えてい
るようでいて実は人によって支えられているものだ、と言います。
真の神は人間を背負い、運ぶ神です。
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神に背負われて生きるということは、人間は何もしなくても神が全て身の回りのことを面
倒見てくれるということではありません。
人間と神との正しい関係は、人間が神に依存して生きる、ということなのです。
もちろん人は経済的にも人格的にも自立して生きるべき存在です。
しかし、こと神との関係に至っては、依存して生きる、すなわち、神の存在無くして人間
は生きることはできないのだと意識する、と言うことです。
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電気製品を考えると理解の助けになるかもしれません。
コードがコンセントにつながれていれば動きます。コンセントから抜かれていればピクリ
とも動きません。
機種によっては内蔵の充電池で何の変化もなく動いているように見えるかもしれません。
しかしそれも数時間で終わります。
電気製品は電源とつながっているからこそ機能を十分に果たせるのです。
人間も神とつながっていて初めて、神にデザインされた通りに機能することができます。
この神に生かされ運ばれている自分であることを認め、信じ続けていく時に、恐れながら
も一歩踏み出していく力が与えられるのです。
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神の確かな保証を心に刻みましょう。
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