今日のみ言葉(2011年7月6日)【No.108】
「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりく
だる者に恵みを賜う』とある。」
(ヤコブ4:6)
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米沢興譲教会の「興譲」という語は、今日の聖句が由来となっています。
興譲とは、「譲を興す(じょうをおこす)」、「謙譲の心を興す」ということで、へりく
だる者に恵みを与えるという今日の聖句がこれを表しています。
故田中美男(たなかよしお)名誉牧師は毎日の早天祈祷会で、幾度となくこの米沢興譲教
会のルーツとなる聖句を説き、教会の若いスタッフの心にたたき込んで下さいました。
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先生が強調されたことは、
「謙遜とは何でも『私はダメです』『私なんか何にもできません』と自分を過小評価する
ことではありませんよ。そういう人を「卑下慢(ひげまん)」と言います。自分を卑下す
る傲慢な人です。」
ということでした。
「私なんかダメな人間なんです」と言う人に、「そうですね、あなたはダメな人ですね」
と言って喜ばれることはありません。本当はそう思っていないからです。
むしろ次のような会話になることを薄々期待しています。
A:「ダメなんだ」
B:「そんなことないよ」
A:「本当にダメなんだ」
B:「いや、そんなことないよ」
A:「だからダメなんだって!」
B:「絶対そんなことないよ。あなたは素晴らしいよ!」
自分を否定すればするほど相手から肯定的評価が得られるので、そのパターンを学習して
しまったのです。
否定的メッセージを周りに送り、同情や慰めや励ましをもらって心にエネルギーを得ると
いうこの方法はよく見られますが、周囲に依存するやり方ですから、相手から飽きられた
り見破られたりすれば終わりです。
仕方がないので今度は自分を知らない人たちの所へ行き、そこで新たにエネルギーをもら
う…、というやり方で人間関係を転々とします。
根本に自分の傲慢があることに気づかなければ、このパターンを永遠に繰り返します。
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ダメな私、基準を満たさない私、罪人なる私…。その私のために十字架で苦しみを受け、
犠牲の死を遂げて下さったイエス・キリストを心に受け入れることが鍵です。
この私のどうしようもない傲慢さを、私の代わりに神の前で謝って下さり、赦しを私の前
に差し出して下さったことを、まず実感は湧かなくても、信仰によって受け入れるのです。
言い換えれば、「傲慢な私のままで赦され、生かされていることに気づき、それで良いと
言って下さるイエス・キリストと共に人生を生きる」ということです。
ここから、へりくだる者としての恵みの人生が始まります。
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<< 祈 り >>
「神様、自分が卑下慢だったなんて知りませんでした。でも考えれば確かに当てはまりま
す。このままでいいのですね。この私を認めることが自分の罪を悔い改めることになるの
ですね。感謝します。そして、恵みを期待していいことにもありがとうございます。」
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今日も謙遜の恵みをいただく一日として参りましょう。
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