今日のみ言葉(2011年7月3日)【No.105】
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
(マタイ28:20)
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年に1回だけのおつきあいですが、いざという時には付きっきりで対応してくれる方がい
ます。車の保険屋さんです。
交通事故に遭った時には、電話1本でレッカー車の手配から廃車手続きから新しい車の購
入まで全て段取ってくれました。
このようにしてくれるのは、毎年契約に見合った金額を支払っているからで、当然のこと
なのですが、心強いものです。
しかし、救い主イエス・キリストはこれ以上の存在です。
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神が共にいて下さるという概念は、世界の宗教史上、革命的なことです。
なぜなら、それまでは、そして現在でも多くの宗教は、
「神の方へ人間が訪れる」
という形を取ります。神は動かず、人間が動いていかなければならないのです。
総本山に参拝に行くとか、○○の方角を向いて祈りを捧げる、というのがこれに当たりま
す。
しかしキリストが示されたのは、
「神が人間を訪れ、共にいる」
ということです。
これによってキリスト教を信仰する者は、世界のどこへ行っても礼拝することができるよ
うになりました。神が共におられるからです。
キリスト教が世界的に広まった原因の一つがここにあります。今日の聖句でキリスト教は
自由に移動できる「足」を得たのです。
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また、多くの宗教では人間はある一定の基準を満たして、神に近づいていかなければなり
ません。
しかし、キリスト教は神の方から人間に近づいてきて下さる宗教です。
今のあるがままの不完全な私に、神が近づいてきて下さり、その私を嫌がるどころか、十
字架で命を捧げるほどに愛して下さるのです。
いつも共にいて下さるのは、私たちの心がきれいで良い人だからではありません。
ありのままの私を愛していて下さるからなのです。
ここに平安の土台があります。
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プロゴルファーの中嶋常幸氏が、かつて新聞の対談で次のように語っていました。
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「キリスト教というのを勘違いしていましてね。夫婦げんかして、『おまえはそれでもク
リスチャンか』と言ったんです。そうしたら女房が『だからクリスチャンなのよ』と。
なるほどと思いましたね。医者は病人に必要なんで、健康な人には要らないわけです。宗
教を信じている人は、自分の弱さや醜さを知っているわけで、完成された人間がクリスチ
ャンや仏教徒になるわけではないんです。
『だからクリスチャンなのよ』という言葉は自分の人生で最大のインパクトでした」。
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後に中嶋氏はスランプに陥り、賞金王の栄光からどん底へと落ち込みます。その原因は、
厳格だったお父さんの死でした。
お父さんのために立派で良い成績を上げていたのが、そうせねばならない理由が無くなっ
たのですから解放されて自由になるかというとそうではありませんでした。
立派でいなければならない理由が無くなり、心に入ってきた迷いがそのままパットの迷い
となったのでした。
しかし、先にクリスチャンになられた奥様の手引きで、ありのままの姿を愛するキリスト
と出会い、中嶋常幸氏は洗礼を受けられます。
2002年に7年ぶりの優勝を遂げ、復活した中嶋氏は勝ちにこだわる世界から脱しました。
彼は現在このように言います。
「プロゴルファーにとってゴルフは仕事だよね。仕事とは,まさに”仕えること“じゃな
い。ゴルフを通じて,喜びや楽しみを伝えることがすごく大切なことだと思えるようにな
ったんだろうね。」
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神はいつもあなたと共にいらっしゃいます。ありのままの私と共に歩んで下さる恵みを心
に留めながら歩んで参りましょう。
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