今日のみ言葉【No.2183】(2020年 1月24日)「宮清め(1)」
2020年1月24日
それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。
(マルコ11:15-16)
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私の子供時代、神社のお祭りは大きな楽しみの一つでした。
一方、普段は閑散として厳かな雰囲気が漂う境内でこんなに賑やかにやっていいのだろうか、という疑念が心の一部を占めていました。
しかしそれは
「年に一度だけだから許されているのかな。出店も道路までで、奥の拝む所には無いからいいのか」
と自分を納得させて済ましていたような気がします。
これがもし出店があるのが常態化し、業者が境内の奥まで物品運びのために往来しているとしたらどうでしょう。
それがイエス様時代の神殿の様相だったのです。
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葉だけ茂って実のないいちじくの木とはイスラエルの霊的状態のことでした。
当時の神殿・宮は外面の荘厳さとは裏腹に、霊的実質が伴わない状態に堕落しており、もっとひどいことに一部の人間の収入源として利用されていました。
イエス様はイスラエルの実情を暴き出し、この宮を清めに来られたのです。
「イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし」
(マルコ11:15)
一見これは何と乱暴な、と思いますが、イエス様の怒りももっともだと思わる理由があります。
まず両替人たちの濡れ手で粟の商売の仕方です。
当時一般的に使われていたローマやギリシャのお金では神殿に納めることはできないような仕組みにされていました。
必ず両替人を通し、神殿で通用する貨幣で捧げなければなりません。
その手数料が法外な値段で、人々は渋々でも払わざるを得ませんでした。
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次に、「はと」とは貧しい人たちが神殿で捧げる犠牲の動物です。
神に捧げるものですから傷のない全きいけにえでなければなりません。
ところが、人々が持ってくるものは事前の検査で必ず傷のある不十分なものと見なされました。
すると次の流れはもうおわかりでしょう。
神殿の庭で売っている完全なものを買いなさい、と誘導されるのです。
これもまた市場価格とは程遠い高額で売られており、人々は高いと知りつつ買わざるを得ませんでした。
その儲けは業者だけが得たのではありません。
神殿で商売できるように権利を与えた人物がいます。
商売人たちは当然その特権を与えてくれた人物にお礼として収入の何割かを納めます。
それが大祭司カヤパだったのです。
イスラエルの宗教的指導者の大祭司が、実は神殿を利用して蓄財をする商売人だったという現実がまかり通っていました。
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トップがこうであっては、神殿の中に聖なる雰囲気が満ちあふれていたなどとは考えることもできません。
店の人間は利益第一、効率優先に考えます。
わざわざ神殿の周りを遠回りして商品を運ぶよりも、その中を突っ切って物を運ぶほうが近道となればそちらを選びます。
業者たちが神殿の中を金儲け目当てにゾロゾロと動き回っている状態。
聖なるものが俗なるものに侵犯されていたのです。
イエス様が
「また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった」
(マルコ11:16)
となさるのも当然です。
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なぜ神はこんな状態になるまで放っておいたのだろう、と思われますか?
悪い芽は小さいうちに摘んでおけばこんな大ごとにならないのに…、と私などは思います。
しかし神は人間が悔い改め、自分から行いを正すことをお望みなのです。
神は最後の最後まで悔い改めのチャンスを与えられますが、最後の最後には裁きを下されます。
イエス様のこの宮清めは、十字架が数日後に迫ったいよいよ最後の時だったのです。
神がいないので悪がまかり通っているのではありません。
神が忍耐強く待っておられるので今の現実が進んでいるのだと聖書は教えています。
しかし、神の裁きは必ず下されます。
それを味わう前に神に方向転換をすることを神はお望みなのです。
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毎日の罪の悔い改めと赦しの確認が私たちの宮清めです。
今日も神との関係を正しいものとして歩んで参りましょう。
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