今日のみ言葉【No.2166】(2019年12月11日)「祈りという息」

2019年12月11日

わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。 主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。
(詩篇116:1-2)

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病気の時に痛みや症状が消えないと

「辛い、苦しい、神はどこだ」

と叫び、一旦治ると

「ハレルヤ!主よ感謝します!」

と言っているのが私です。

自分でも何と単純でわかりやすい人かと思います。

詩篇第116篇で神を讃美しているこの記者はどんな人なのでしょう。

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詩篇第116篇は苦難から救い出された人の詩です。

おそらく重い病から癒されたのだろうと言われています。

「わたしは主を愛する」

と宣言しているのは、

「主はわが声と、わが願いとを聞かれたから」

「主はわたしに耳を傾けられたので」

という理由があります。

その結果の行動として

「わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう」

という感謝の応答が続きます。

祈って癒されたので、癒し主の神をほめたたえている姿です。

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さて、願いがかなったから讃美するのだという人は、願い通りになる前は神様に文句を言っていた可能性があります。

「なぜ癒して下さらないのですか。いつまでこの苦しみに耐えなければならないのですか」

それは文句というより切実な願いと言ったほうが良いかもしれません。

その時は自分一人しか戦っていないように感じ、周りの人の言葉は気休めにしか聞こえず、アドバイスは全くの的外れで役に立たないとしか感じられませんから仕方がないのです。

しかし、癒された今となっては、こんなに良くしていてもらっていたのかと気づき、たくさんの恵みの中を手を引いてもらって歩んでいたのだとわかり、どう感謝していいか迷うほどの讃美の念にあふれているのです。

人生はそうなります。

あなたの祈りが文句を吐き出す息であったとしても、神は恵みの空気を吸わせて下さいます。

そしてやがての時に、あなたの吐く祈りという息は、賛美と感謝に変わっているのです。

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八事教会の鳥井一夫牧師は、信仰とは神に委ねて生きることだとして次のように語っておられます。

「中学2年生のときに、私は人生を変える二つの体験をしました。それは、信仰への道と水泳との出会いです。泳ぐために一番大切なのは呼吸法です。泳げない人は、息を吸うことばかり考えますが、水の中では、地上とは同じように呼吸はできません。人間の比重は、水中では1前後を絶えず変化しています。そして、水中では陸上よりも4倍遅い動作しかできません。そうした特性を理解し、体の力を抜き、水の中に体を委ね、先ず息を思いっきり吐き出し、その反動で息を吸うことができるのです。それを4,5回続けると「泳げている」という実感を持つことができるようになります。あとは、我慢して辛抱強く、どんな下手な泳ぎ方でも、呼吸を続けて行けば、泳ぐ距離を延ばし泳ぐことができるようになります。」
https://www.nagoyayagoto.org/church/paster/

神様に向かって思いっきり息を吐き、恵みの空気を吸う。

この繰り返しで、体は神にゆだね、後は自分の泳ぎ方をするのです。

やがて天のゴールに迎え入れられるまで祈りの呼吸をしつつ、人生をこのように泳ぎ切っていきたいものです。

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祈りを聞いておられる神に、思い切ってあなたの思いを伝えましょう。

そして神にゆだねる今日となりますように…。

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