今日のみ言葉【No.1760】(2018年 5月24日)「 信仰の絶対性(1)」

神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
(第1テモテ2:5)

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イスラム教というと「テロ」というイメージがつきまとい

「一神教だから独善的になって何でも言う事聞いちゃうんだよ」

「日本みたいにどんな神様でも受け入れていれば争いがないのに…」

「宗教に凝り固まるって恐いな」

というところまで話が一気に進むことがあります。

そういう人に私は言いたい。

「キリスト教こそ『神は唯一』とする一神教ですよ。恐くありませんか?」

月・木の入門コースではしばらくこの信仰の絶対性を扱い、

「なぜ数ある宗教の中からキリスト教を選んで信じるのか」

という理由をいくつか挙げていきたいと思います。

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全く架空の話ですが、あちらの神様とこちらの神様がジャンケンをするとします。

どちらも全知全能を標榜する神で、何でもできる自分こそ最強。他を負かして必ず勝利する神だと言っています。

いったいどちらが勝つのでしょう?

真剣に考えようとする皆さんには申し訳ないのですが、

「こんなことは考えてもしょうがないこと」

なのです。

しかし、ここに「信仰の絶対性」という問題の核心が隠されています。

つまり、どんな神でも、それを信じるという限り、誰でも自分が信じている宗教を絶対だと思っているということです。

そうでなければ信仰自体が成り立ちません。

ですから、先ほどの神様のジャンケンの話にあえて答をつけるとすれば、どちらの信者も

「私の神が勝つ」

と信じて何の問題も感じずに今までどおりの生活をします、です。

そして、これに第三者が口をはさむ余地はありません。

宗教戦争に決して終わりがないとはこういうことなのです。

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そこで、現時点の私たちにとって必要なことは、まずここまで導かれたことを大事にするということです。

私の信仰はどうなのだろう、大丈夫なのか、間違っていないか、と叩いて点検する前に、

「よく神様を信じられるようになったものだ」

と、今まで通ってきた人生の道筋を振り返って感謝することが、これから将来の道を歩んでいくのに大きな助けとなります。

人生はいろいろです。

教会の門をくぐるのにも、百人の人に百通りの理由といきさつがあります。

自分の罪に苦しんでキリストの赦しを求めに来た、というストレートな理由の人のほうが少ないのではないでしょうか。

友人に誘われた、心の世界のいいお話を聞きに来た、クリスチャンホームに憧れて、愛あるあの人の行っている所で勉強してみたい、子供の問題の相談で、たまに教会でクリスマスを過ごすのもいいかと思って…。

そしてそこからどういう理由で自分はこの神を信じる決断をしたのか、それを今すぐ言える人もいますが、

「なんとなくだったなあ…」

と、今すぐには言えない人もいます。

その方はゆっくり時間をかけてでいいですから、いつかはっきりと自覚できる時が来ることを信じて祈りましょう。

それから次のステップへ行けばいいのです。

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あなたの信仰は絶対かと問われれば、揺らぐ私たちかもしれません。

しかし、ここまで神に導かれた人生を振り返り、今日からまた新たな心で歩み出す選択をして参りましょう。

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