今日のみ言葉【No.2129】(2019年10月26日)「主にあって強くさせられる」

2019年10月26日

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
(エペソ6:10 新改訳)

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次の言葉はどんな人が言ったと思いますか?

「解決策は常にある。私は長年ずっとあまりにも多くの危機を経験してきたので、一歩前に踏み出すことを続けていけば切り抜けられると、心の奥底で知っている。乗り越えられない課題でも、それを回避する方法は見つけられる。到底勝ち目がない戦いならば、別の場所で戦えばいい。最後にきっと反対の結果になるとわかっていれば、どんな困難にも取り組み続けることができる。あなたの中にそういうものを見出した人は、自らもそう信じるようになる」

クリスチャンの世界でも相当信仰の強い達人の言葉のように思われます。

実はこれは、かつて携帯電話で世界一を誇りながら、スマホ戦争に敗れて倒産寸前になったNokia(ノキア)という会社をV字回復させ、今や5G時代の覇者となろうとしているNokia会長リスト・シラスマ氏の言葉なのです。
(出典:『NOKIA 復活の軌跡』、リスト・シラスマ著、渡部典子訳、早川書房、P202)

ビジネス最前線で戦い、勝利を収めた人がこう宣言しているのですから、全くその通りだと言う他ありません。

神を信じて粘り強く取り組み、勝利を確信しながら事に当たることは、夢物語ではなく現実最強の正解なのだという保証をもらったようなものです。

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今日の聖句は口語訳聖書では

「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」

ですが、強くなりなさいという箇所は受動態の命令形なので、新改訳聖書の

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい」
(エペソ6:10 新改訳)

の方がより正確な訳だと思われます。

私たちは自分の努力で自分を強くしようとします。

その通りです。強くなるにはそれしかありません。

治る気がなければ病気は良くなりませんし、身体は自分の意志でトレーニングすることによって鍛えられ、筋力がついていきます。

しかしそれは人間に任せられた部分のことです。

考えてみれば、走ったら心肺機能が強化されるとか、ストレッチをすれば筋肉がしなやかになり強められると言っても、その身体の仕組みを作られたのは創造者なる神様です。

例えばゴリラはあのような筋肉ムキムキの身体ですが、肉食ではなく草食動物です。

ゴリラは草を食べ、それをタンパク質に変える酵素を胃の中に持っており、そこからさらにあの強い筋肉となるような仕組みがプログラムされてあるのであの身体となるのです。

つまり、強くなろうとしているのではなく、神様によって強くさせられているのです。

ゴリラが葉っぱを食べるまでは彼らの責任です。

その先からは神様の仕事。

それと同じように、人間は神の言葉を信じてチャレンジし続けるのが仕事です。

その先に、主にあって、その大能の力によって強められる世界があります。

Nokiaの会長のように、真正面からぶつかるだけが戦いの仕方ではないと考え、回避したり別の場所に行ったりしてよいのです。

しかし、最後にきっと今とは反対の結果になると信じて生き残りの道を探るのです。

すると、自分の力では圧倒的敗北であったはずが、神様によって強められ、勝利が与えられているという時がやって来ます。

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私の証しをします。

大学を出てすぐ献身した私は、その半年後に

「道を誤った…」

と思いました。

他の牧師候補生たちは積極的に人と関わり、時には街の中心部に出て歌を歌い、メッセージをし、そこで出会った人に伝道し、教会に連れて来ます。

一方、私は「引きこもり派」で人と関わるのが苦手。

彼らのように路傍伝道に出かけるなど死んでも嫌。

無理やり連れて行かれ、一回だけ外で自分の証しをしましたが、それが最初で最後。後は絶対に行かないと心に決めました。

また私は疑り深いので、単純にすぐには信じません。

特に論理のつながりが欠けている感情的メッセージが大嫌いで、聞いている途中で

「なぜそういうことが言えるのか。根拠は何か」

と考え出し、その時点でメッセージを拒絶してしまい、頭に入って来なくなります。

人が「感動した!」と言って大絶賛の話も、私の場合は

「話のポイントが3つあったが、どこがどう良かったのか」

「例話はよくわかったが、その前の聖書解釈との結びつきが不明瞭だった」

などと論理構成の方が大事なので、素直に喜べません。

結局、人を避けて引きこもるので、人にキリストを伝える伝道など出来ません。

また、人に受ける話ではなく正確であることが一番とする私なので、相手構わずバッサリ斬る話となります。

それでも、神様は私を愛し生かして下さるので、まわりの人たちが見切りをつけないで受け入れてくれました。

周囲の人達の愛に支えられて生かされていることは私にも伝わっていましたので、自分で自分に見切りをつけることは出来ず、この自分で出来ることをさせていただこうと、神様にゆだねる他なく生きてきました。

その結果が、この御言葉メールなのだと考えています。

私は自分で自分が強くなったとは露ほどにも考えていませんが、神が強くして下さり、御心にかなう部分においては神様が力を奮っていると確信しています。

主にあって強くさせられるとはこういうことではないのかと、私はしみじみ味わっています。

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神の愛に身をゆだね、強くさせられている自分を夢見て、今日の一歩を踏み出して参りましょう。

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Posted by maruyama