今日のみ言葉【No.2056】(2019年 7月13日)「讃美に切り替える」
主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
(出エジプト記15:2)
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最近は釣り人の間で「神経締め」というものが広まっています。
元々は、
「どうしたら活きのいいままで魚を届けることができるか」
と考えたプロの漁師さんや水産関係者がやっていたことです。
まず魚の急所を打ち、手早く息の根を止めます。
そして背中にワイヤーを差し込み、脊髄神経を破壊するのが神経締めです。
動画を見ると、今さっきとどめを刺したはずの魚が「ビクビクッ!」と断末魔のような動きをするので、そういうのが苦手な人は見ないで下さい!
このようにすると、魚の体は「私は死んだのだよ」という信号を出しません。
死後硬直が防げ、活きのいいままで消費者に届けられ、魚本来の美味しさを味わえます。
神の御業も同じで、人間の目から見ると「そこまでやるのか」と残酷に見えるほど、神の御業は徹底しています。
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今日の聖句は紅海を渡った後に神を讃美するミリアムの歌です。
イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態から脱出しましたが、後ろからエジプトの軍隊が迫り、しかも前には紅海が立ちふさがります。
絶体絶命のピンチです。
しかし神は海を真っ二つに裂き、彼らに乾いた地の上を渡らせました。
全員が安全に渡り終えた後、神は水を元に戻し、同じ道を追いかけてきたエジプトの軍隊は途中で水に飲まれ、全滅しました。
岸辺から見るイスラエルの民の目に入るものは、戦車の残骸とエジプト人の水死体が多数打ち上げられた情景です。
ですからこの讃美は実に凄惨な状況を目の当たりにしてなされたものと考えられます。
「神様は、やる時はやる。しかも徹底的に」
これが彼らの偽らざる心境だったのではないでしょうか。
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「主はわたしの力また歌、わたしの救となられた」
(出エジプト記15:2)
とは、このような恐るべき神の御業を拝した時に出る言葉です。
神は我々の思いや願いを遥かに越えるわざをなされるのです。
それを体験するまでは、
「神様、まだですか。どうしてですか」
という祈りばかりが口から出るのが人間ですが、神の御業を見た後は、そんなものは一切出なくなります。
出てくるのは讃美ばかりなのです。
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大事なことは、その神がなされた御わざを忘れないで次に続けることです。
イスラエルの民はその後、荒野に導かれ、水や食料がないという危機に見舞われます。
その時に、
「主はわたしの力また歌、わたしの救となられた」
(出エジプト記15:2)
という讃美は出て来ず、出るのは不平と不満ばかりでした。
「エジプトの軍隊を海に放り込んで完全に滅ぼした力ある神よ、我らに水を与え給え」
という祈りへとつなげることができなかったのです。
信仰の勝負どころとはここです。
「まだですか。いつまでですか」
という祈りをしてもいいのですが、
「あっ、今の私は荒野のイスラエルの民と同じだ!」
と、どこかで気づかなければならないのです。
そして、早々とミリアムの歌、神への讃美に切り替えるのです。
これはなかなか大変ですが、何千回失敗してもいいのです。
神はキリストにあって赦し、またチャレンジをする私たちを励まして下さいます。
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思い切って心を転換し、神を讃美する今日として参りましょう。
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