今日のみ言葉【No.2054】(2019年 7月11日)「キリスト教イロハ(3)『哀歌』」
われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう。
(哀歌3:41)
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「よし、聖書通読をしよう!」
洗礼を受けた後、そう思い立ってやり抜きました。
何が何だかわからないところが沢山ありましたが、そこは「おつとめ」のようにして読み、とにかく通読は完了しました。
その経験から、2回めの通読の時は少し工夫を凝らし
「聖書の中の肯定的箇所には赤線を、否定的箇所には青線を引いて読んでみよう。そうすればもっと興味深く読めるにちがいない」
と2色の色鉛筆を用意して、線を引き々々読み進めました。
きっと聖書が真っ赤に染まるだろうと思っていましたが、エレミヤ書と哀歌では聖書が真っ青になってしまいました。
それだけ滅亡と嘆きがあふれていたのです。
哀歌とはそのような書です。
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哀歌はその名の通りで、悲しみの書です。
紀元前586年に南ユダ王国が滅亡し、バビロニアの軍隊によって聖なる都エルサレムが破壊され、人々はバビロンに補囚されていきました。
エルサレムは死んだのです。
ですから、哀歌は弔いの歌です。
死者を悼む挽歌であり、嘆きの歌です。
それは、5章ある内の3つが「ああ、」という言葉で始まっていることから明白です。
「ああ、むかしは、民の満ちみちていたこの都」(1章1節)
「ああ、主は怒りを起し、黒雲をもってシオンの娘をおおわれた」(2章1節)
「ああ、黄金は光を失い、純金は色を変じ」(4章1節)
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しかし、この悲嘆の中、哀歌には確かな主題があります。
それは
「この暗黒の時代は神の前にどのような意味を持っているのだろうか」
というものです。
そして、
「イスラエルの民が、その罪ゆえに罰を受けるのは当然だ。しかし、神はイスラエルを見捨てない」
という確信も表されています。
「彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。彼は心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからである。」
(哀歌3:32-33)
人が苦難の中を通る時、それが自分が招いたものであれ、人から負わされたものであれ、
「われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう」
(哀歌3:41)
という態度で真正面から神を仰ぐ時、その神の恵みが周囲にあふれていることを見出すのです。
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私たちには神様が見えなくとも、神は私たちをはっきりと見ておられます。
その神に手をあげて祈る今日として参りましょう。
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