今日のみ言葉(2011年10月29日)【No.181】
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。」
(ルカ24:15-16)
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復活された主イエスと出会っても、この二人の弟子たちの目には本人だとは見えませんでした。
その理由は、彼らはキリストの復活を知識としては知っていましたが、本当に心では信じていなかったからです。
復活のキリストと会えるなどとは考えもしていなかったのです。
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私たちも心の目が遮られて、すぐそばに神様がいらっしゃるのに、全く光のない闇夜を歩いているかのような思いで日々を過ごすことがあります。
しかし、私たちが神の隣在を感じようが感じまいが、神は私たちと一緒に歩いておられるのです。
感覚の正しさではなく、御言葉の約束の確かさによって「共におられる」ことを確認するのです。
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キリストが私たちと共におられることを積極的にイメージしましょう。
●朝ご飯を食べている時、一緒におられるイエス様…
●車の運転中に隣りに座って「安全運転だよね」と語りかけるキリストの姿…
●初めて行く場所で、「先に来て準備しておいたから心配ないよ」と笑顔で迎えるイエス様…
●思わぬ出来事が起きて心が動揺する時、「最善のために私が起こしたことだ」と一緒に事態を見ていてくれるイエス・キリスト…。
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肉体の目では見えなくても、心の目でキリストを見ていく一日を送って参りましょう。
神は共におられます。
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