今日のみ言葉【No.2010】(2019年 5月17日)「受難の予告(1)」
2019年5月17日
それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、 しかもあからさまに、この事を話された。
(マルコ8:31-32)
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テレビがアナログから地デジに移行する際、
「アップすると顔の産毛や毛穴まではっきり映る」
ということがわかりました。
女性タレントのメイク時間がそれ以降グッと増えたのも頷けます。
真実を知らされることは時に残酷です。
イエス様の受難の予告は弟子たちにとって受け入れがたい真実でした。
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今日の聖句は、いよいよイエス様が十字架の受難を迎えることを弟子たちに予告したところです。
それはイザヤの預言を通してあらかじめ定まっていたことでした。
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」
(イザヤ53:5)
弟子たちにとっては、頼りにしていた先生が苦しみを受け、死んでしまうなど、到底受け入れられない言葉です。
彼らの理解力では、イエス様がメシア(救い主)であるというところまでは正解でした。
しかし、そのメシア像は「王」であり、イスラエルを復興し、自分たちに益してくれる存在というものだったからです。
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弟子たちの思いとは裏腹に、神の御心に従うイエス様は受難の道を進む用意をし始められました
「あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない」
(ルカ22:37)
神の御心が苦しみの道を通ることであるのを、受け入れるか受け入れないか。
ここが弟子たちに対する重大な決断の場であり、また、私たち信仰者にとっても正念場です。
受け入れられないと逃げ出せば、それは決断を先延ばしにするだけの対症療法です。
「はい、神様。自分にとっては入りたくない道ですが、あなたが通れと言われるのであれば通らせていただきます」
と祈り、その道をしずしずと歩む時、あなたの逃れの道ではなく、神の用意された逃れの道を歩ませていただけるのです。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」
(第1コリント10:13 )
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私が入りたくない道は親の介護という道でした。
神へ献身するという道を選んだ時以来、親子関係は厳しいものとなり、ほとんど疎通のない何十年を過ごしましたが、父の病気と母の認知症を契機として、長男としての役目を果たさなければならなくなりました。
逃げられなくなったのです。
父は最後までイエス様を受け入れず、他界し、遺言通りお寺で葬儀。
僧侶がお経を唱えるのを聞きながら、
「牧師の私が仏式の葬儀で中心的役割を果たしてよいものか」
と思っていましたが、兄弟親戚の助けを受けながら万事済ませました。
しかし、なぜ神は私をこういうところに置き続けるのだろうかという疑問はずっとつきまとっていました。
神がいるなら奇跡的方法で牧師の私をこの場から取り去って、当事者とならないように守ってくださってもよいのではないか?
しかし後になってわかりました。
私と同じような立場に置かれたクリスチャンたちが結構多くいて、おおっぴらに教会で証しをすることもできず、中には後ろめたい思いを持って、ひたすらそのことを隠しながら教会に来ていることがわかったからです。
「先生もそうだったんですか。牧師でもそうやって生きていて良いんですね」
はからずも、私はその人たちの心の支えとなれました。
「ははん、神様、そういうことだったのですか」
と、神の型破りの御心がわかって驚きました。
次は残された認知症の母親の介護です。
介護保険でヘルパーさんの助けを得て、生活はできていますが、伝道はできません。
私が教えることは、1分後には全部忘れて覚えていないからです。
何をやっても無駄。
仏教のお話で、地獄には賽の河原の小石積みという責苦があると聞いていましたが、それはこういうことかと実感しました。
あらゆることをやった挙句、私が書いた本『365日生きていていい!』を読んで、御言葉の種をまこうというアイディアが与えられました。
本の読み聞かせをすると、内容が頭に残っているかどうかはともかく、母親の気持ちが穏やかになっているのがわかります。
「記憶には残らないかもしれないが、心には残るかもしれない」
「それにしても、高齢の認知症の人にはこの文章は難しい。もっとやさしい内容で、福音をとらえた短いものにしなければ」
と、読み聞かせをしなければ考えもしなかった思いに至りました。
ですから、いつかこの御言葉メールで、「認知症の親への伝道のための読み聞かせシリーズ」というものをお送りしようと考えています。
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神の道は受難の道であっても、従う者にはのがれる道が用意され、他者への祝福となるように歩ませて下さいます。
心が震えながらでも、神の道を一歩踏み出す今日として参りましょう。
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