今日のみ言葉【No.1937】(2019年 2月 7日)「聖書とは何か(2)」

2019年2月7日

この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
(ヨシュア1:8)

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「この会社は『富士フィルム』でなく『富士フイルム』ですよ」

と先輩アナウンサーが新人アナウンサーを指導している場面を見たことがあります。

きっと英語の授業で「film」を「フィルム」と発音すると習っていたからでしょう。

でも、公の放送で会社名を間違ったら大変です。

自分の今までの経験や知識とは違っていても、規準となるものがあるのですから、そこに自分の方が合わせなければなりません。

信仰の規準となる書を「正典(せいてん)」といいます。

聖書はキリスト教の正典です。

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聖書は何千年もかけて今の形になりました。

最初は口伝により、そして紀元前1000年頃からは断片的資料として神とイスラエル民族の出来事が残されてきました。

やがてその中から「信仰の規準」となるにふさわしいものが選び出され、紀元1世紀末ごろのラビたちの会議で、今の旧約聖書39巻が正典とされました。

次に新約聖書ですが、これも当然最初は口伝えです。

やがて時代が進み、キリスト教の信者が増えるに連れ、イエス・キリストの言葉と行いをまとめた言行録が必要となってきました。

これが福音書となり、さらに教会や信者に宛てた多くの手紙の中から選び出され、現在の27巻の新約聖書が正典と定められました。

これは紀元397年のカルタゴ会議においての決定です。

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私は神学校でこのことを習った時、それまで聖書とは神様が「神の指」でサササッと書かれたものだと思い込んでいたので、こう質問しました。

「先生、聖書って、結局人間が書いたものなんじゃありませんか?そして選り好みして選んだものとは言えませんか?」

今思えば、何と無知丸出しの質問だったかと思います。

それに対して教授はやさしく答えてくれました。

「確かに人間が書いた文書の集大成だが、神が各々の記者の人格を通して働かれ、その過程で聖霊の導きがあったのだよ」

その答では納得しない私の不満気な顔を見て、先生はこう続けられました。

「正典とは信仰の規準だ。多くの言い伝えや文書があり、その中にはプライベートな内容の手紙があったり、話としては興味深いが信仰の規範となるには縁遠い内容の文書もあった」

「信仰を持つことによって命の危険にさらされることもあった人々が、『この言葉、この約束は真実であった。これは真に命の言葉、神の言葉だ』と生死をかけた信仰生活の中で実証されたものだけが残ったのだよ。だから、『時の篩(ふるい)』にかけられたと言える」

私はそこで、「へへーっ」と頭を下げました。

私の頭の中の理論理屈が、何千年という歴史と命の勢いの前で吹っ飛ばされたのです。

それ以来、聖書をもてあそぶことがなくなりました。

「命かけて伝えてくれたんだなあ」

「ここにあるメッセージの通りに生きたら救われるよ、と書いてあるんだなあ」

と、聖書を読む度に、神様はもちろん、その神を信じて生き、死んでいった無数の信仰の勇者たちから支えられている思いを味わっています。

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正典としての聖書をあなたの生活の規準とし、命を受け継いでいく毎日を送って参りましょう。

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