今日のみ言葉【No.1245】(2016年 3月15日)
わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。
(ヨナ2:2)
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今、囲碁の世界で大事件が起きています。
人工知能「AlphaGo(アルファ碁)」が世界チャンピオンに3連勝したからです。
チェスより複雑な囲碁という知能を極めた世界で、人間がコンピューターに負けたという結果に世界は驚かされています。
更に、コンピューターは自分自身と対戦してますます対戦データを積み上げていきますから、人間が追いつけないほどの速さで強くなっていくのは確実と予想されています。
しかし第4戦目は人間側が勝利しました。
囲碁の世界では人工知能(AI)という新たな「棋士」の出現によって、まだまだ未開拓の分野が明らかにされました。
そうやって、人間の終わりと見えたことが、新たな世界の始まりとなっていくのでしょう。
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ヨナの物語は有名で、小さいお子さんでも理解できる内容です。
彼は神の命令とは反対方向の船に乗り、逃げて行きましたが、大嵐に遭遇します。
「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」
(ヨナ1:7)
くじに当たったヨナは、この災難が自分の不従順の故であることを直感せずにはおれませんでした。
さて、自分だけに罰が下されるならいざ知らず、船に一緒に乗り組んでいる人々にも命の危険が迫っています。
彼は責任を痛感しました。
そこでヨナは、自分を海に投げ入れてくれ、と人々に言います。
しかし、そんなことは出来ないと彼らはためらい、他の方法を試してみましたが、うまく行きません。ますます海は荒れていきます。
神の御心は、ヨナが船にいて助かることではなく、海に投げ入れられることであることが明らかになってきました。
こんな大嵐の中で海に飛び込んだら、それは確実に死を意味します。
しかしどうしようもありません。彼らは決断しました。
「そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。」
(ヨナ1:15)
もはや死しか見えない状況で待っていたのは、神が備えられた「大いなる魚」でした。
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さて、ここで、
「ヨナは大きな魚に…」
の後に続く言葉を考えるとしたら、あなたは何という表現をなさいますか?
「ヨナは大きな魚に…」
→ 「飲まれた」
のでしょうか?
確かにその通りです。
しかしもっと正確に言えば、
「ヨナは大きな魚に…」
→ 「助けられた」
です。
私たちは、
「荒れ狂う海の中に投げ入れられ、大きな魚に飲まれてしまった」
と考える生き方をしていることがあります。
しかし、全く同じことながら、
「荒れ狂う海の中に投げ入れられ、大きな魚に助けられた」
という見方があるのです。
その神側からの視点で見ていくことが、神があなたに望まれる生き方です。
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あなたは今、とんでもなく犠牲の多い人生を歩まされているとお感じになっているかもしれません。
しかも、大魚に飲み込まれ、真っ暗な胃袋の中でジワジワと死を待つ恐ろしさを味わわされていると嘆いているかもしれません。
しかし、この状況は神が備えられたものです。
それは
「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。」
(ヨナ2:2)
とヨナが神の方向に顔を向け直したように、私たちも神様の存在に心を向け、悩みの中で祈りを呼び覚まされ、そしてその祈りが答えられるという体験をするためなのです。
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祈らされた人でなければわからない祝福の体験が備えられています。
祈りの答が与えられるまで、か細い炎であっても祈りの火を絶やすことなく、今日一日を大切に生きて参りましょう。
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