今日のみ言葉【No.1066】(2015年 6月17日)

2015年6月26日

あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。
(イザヤ35:3)

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900キロという距離はどのくらいの感覚で捉えたら良いのでしょう。

東京から札幌・広島までがだいたいその距離です。

我が山形県からですと大阪あたりまで。

実はバビロン〜エルサレム間の直線距離がこの900キロで、補囚された民が1ヶ月かけて歩いて戻ったのがこの距離なのです。

イザヤ第35章の華やかな表現の背後には、バビロンからの帰還という歴史的状況があります。

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実は私は今日の聖句が聖書中最も嫌いな個所でした。

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」
(イザヤ35:3)

私の正直な感想としては、

「何これ、命令して!しかも全然助けてくれなくて、結局自力で頑張れということか。」

「弱いから頼り、よろめくから助けを求めているのに、自分で『強くせよ』『健やかにせよ』、だって…。どこが救い主なんだよー!」

と、怒り満載で神様に抗議しましたが、神様からは梨の礫(つぶて)。何の反応もありませんでした。

わからない時はわからないままにしておく。

これが聖書理解のために必要なことのひとつでしょう。

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今になってみると、この個所を読んだ当時は、自分の力の無さを思い知らされ、また、それをどうして良いか分からず、周りからどんどん差をつけられ、無力感に苛まされていた時期だったのでしょう。

自分を助けてくれる神の約束のエンジンを装備し、保証を得なければ心細くてどうしようもない状態の私だったのです。

そこでたまたま開いた聖書個所が

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」
(イザヤ35:3)

では、突き放された感じがして、なおのこと落ち込んでしまったのです。

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イザヤ第35章に描かれている当時の人々は、900キロ先にあるエルサレムに帰還できる喜びと希望があったのです。

しかし中には老年の者もいたでしょうし、長旅に耐えられるか不安な人々もいたことでしょう。

その人々に対し、

「大丈夫だ。神がこの事業を始められ、バビロン捕囚から解放してくださったのだから、エルサレム帰還の道にも神が共におられる」

という思いを込めて、心おののく者に

「強くあれ、恐れてはならない。」
(イザヤ35:4)

と神のメッセージをイザヤは語ったのです。

その先には必ず祝福が控えている。

それを得ることができるのだから、

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」
(イザヤ35:3)

と語られたのです。

決して自分一人で強くできるわけではありません。

必ずそうできるようになる道と仕組みを神は用意しておられるので、今、あなたの決心で、弱った手を強くしようとリハビリを始め、よろめく膝がだんだん強くなるようにトレーニングを始めていくのです。

神様は必ずその900キロの道のりを歩き通すことができるように、私たちを造り変えてくださいます。

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私の家内の母は本当に前向きなクリスチャンです。

昨年、肩の腱が断裂していることがわかり、手術を決断しました。

しかし、元のように動けるようになるためには、3ヶ月の入院と、1年間の辛いリハビリをしなければならないという厳しい条件付きでした。

高校生の孫もいるこの歳になって、そこまでせずともいいのではないか、痛み止めで何とかごまかせれば…、という考えもありましたが、おばあちゃんは、

「じいちゃんの介護をするのは私だから、身体が動くようにしておかなければならない」

と、何の介護も必要ない元気なおじいちゃんをだしにして、あえてチャレンジしました。

リハビリの先生のことを

「鬼のようだ」

と入院中散々言っていましたが、退院して1年後の今、元気なおじいちゃんと共に二人で青森まで旅行に行くほどになりました。

時には自分で運転して、お得意のパンプキンスープを孫のために持って来てくれるほどの元気さです。

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神様は時に、鬼のような方だと感じることがあるでしょう。

しかしその先にある希望があるからこそ、あえて

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」
(イザヤ35:3)

とあなたに語られる時があるのです。

確かなその先を見つめ、必ずそうなることを信じ、今日の霊的リハビリに励んで参りましょう。

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