今日のみ言葉(2012年 1月20日)【No.223】

2012年2月8日

「するとイエスは言われた、『彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい』。」
(マタイ14:16)

——————

今日の個所は5千人の給食の直前にイエス様が弟子たちに語られた言葉です。

成人男子だけで5千人ということは、数に入れられなかった女性・子供を入れて2万人ほどの群衆であっただろうと言われています。

その人たちの食料の手配をするに当たり、

「あなたがたの手で食物をやりなさい」

とイエス様は語られました。

-*-*-*-*-*-*-

弟子たちにすれば、それは不可能と思えたことでしょう。

しかし彼らは

「それは絶対無理」

と拒否したわけではありませんでした。

「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」

と、イエス様に完全な信頼を置く信仰ではありませんでしたが、

“今のそのままの自分の状態”

をイエス様に告げたのです。

これが祈りの原型です。

-*-*-*-*-*-*-

それはちょうど赤ちゃんの泣き声のようなものです。

幼な子は、自分が何を必要としているか、などという明確な意識は持っていません。

むずがゆい、おむつが冷たい、空腹感、という不快感を感じ、泣くのです。

「お母さん、肌着を替えて下さい」

「おむつ交換して下さい」

「おなかがすいたのでミルクを下さい」

などという要求をしているのではありません。

どうしようもなくなって、ただ泣くのです。

しかし、お母さんはその泣き声を聞いただけで、赤ちゃんの気持ちを理解し、必要に応えるためにすぐ行動します。

-*-*-*-*-*-*-

神様は私たちの祈りを呼び覚ますために、しばしば不可能と思える出来事を示されます。

私たちは泣き声を上げます。とてもそんなことはできないからです。

しかしその時に、

「とてもできません」

という言葉ではなく、

「私は今、○○という状況です」

と、今あるところを神様に告げること、それが祈りなのです。

神はその祈りを聞き、

「それをここに持ってきなさい」

と語られます。

あなたの状況を神に捧げると、神はそれを全く違ったものにして下さいます。

やがて、5千人以上の人が養われる価値あるものとして、神はあなたにそれを返されるのです。

-*-*-*-*-*-*-

  << 祈 り >>

主よ、とても人には見せられないと思う私のこのありのままの状況が、あなたにあっては5千人を養う価値あるものへと変えていただけるのですね。差し出すのをためらう私ですが、ぜひどうぞ用いて下さい。アーメン。

-*-*-*-*-*-*-

あなたが差し出せないでいる「5つのパンと2匹の魚」とは何でしょうか?

マタイ,御言葉

Posted by maruyama