今日のみ言葉【No.880】(2014年 9月 3日)
感謝のいけにえを神にささげよ。
(詩篇50:14)
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詩篇第50篇は、犠牲の捧げものをあげてさえいれば神に赦される、という安易な信仰に対する戒めの詩篇です。
雄牛や雄やぎ等の動物を生け贄として捧げることが、単なる宗教行事となってしまい、一番大切な
「心」
が伴っていないイスラエルの現状を痛烈に戒めたのです。
このまま進めば、「どのくらい捧げたか」という人間側の行為で神を動かそうとする傲慢が幅をきかせ始めます。
それは陥りがちなことですが、大変危険なことでもあります。
捧げるのは「感謝」なのです。
「感謝のいけにえを神にささげよ。」
(詩篇50:14)
ここに常に帰り、ここに戻ること。
それがあなたの信仰生活を常にフレッシュなものにし、正しい位置へと戻してくれるのです。
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日曜日の教会学校の礼拝で、最後に献金の時があります。
ほとんどの親御さんは
「これが今日の献金ですよ」
と子供たちに決まった額を渡し、子どもが自動的にそれを献金袋に入れる、というのがパターンです。
幼い子供の段階ではそうやって行動から覚えていって良いのです。
ところが中には
「いくら捧げるか自分で決めて袋に入れなさい」
と言って、既に子どもに十分に与えたお小遣いの中から、自分で額を決めて献金しなさい、と指導する親御さんがいらっしゃいます。
献金袋が回ってくる様子を見ていると、その子供たちは子どもなりの葛藤をしています。
「えーっ、いくらがいいかなあ」
「100円はもったいないし、10円では少なすぎるだろうし」
そして最後に、まるで清水の舞台から飛び降りるような気持ちで
「エイッ!」
と捧げる姿は本当に微笑ましいものです。
身を刻まれるような葛藤の中、短い時間ながらも、その間に神様に感謝すべきことや神様から与えられた恵みを思い浮かべ、本当にその心に神への感謝が現れてくるのでしょう。
神はこのような感謝のいけにえを喜ばれるのです。
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今日も感謝を神に捧げる一日として参りましょう。
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