今日のみ言葉【No.1818】(2018年 8月24日)「 種まきのたとえ(1)」

そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」
(マルコ4:9)

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結婚情報誌ゼクシィが

「結婚とは○○である」

の○○の所に言葉を入れて下さいという読者アンケートを実施しました。

1位は

「結婚とは思いやりである」

希望がありますね。

2位は

「結婚とは忍耐である」

一転して現実的ですね。

次に続くのが

「結婚とは第2の人生の始まりである」

女性の皆さんにとっては姓も変わりますし、出産、育児と環境が激変しますものね。

その中で秀逸なのが次の回答。

「結婚とは『チョコレートパフェ』である。外からは見えなかった意外なものが入っていたりするけど、最後には溶けて、ひとつの味になれればいいな…という期待も込めて」(27歳)
https://zexy.net/contents/lovenews/article.php?d=20100624

結婚を何かにたとえると、そこにその人なりの深い思いがあることがわかります。

聖書の中にあるたとえ話も同様で、その中に深い意味が込められています。

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イエス様はたとえで多くのことを語られました。

なぜでしょう?

一つには、律法の難しい神学的理論を講釈されるより、身近なたとえ話のほうが圧倒的にわかりやすいということがあります。

また、権力者を表立って批判することが危険な場合、皮肉やユーモアをかぶせてたとえ話をすることは現代でも見られます。

しかし、イエス様は神の真理を覆い隠すためにたとえ話をしたのではありません。

むしろその逆で、なんとかして人々に真理を理解させようとしてたとえを用いられました。

人の理解力には差があるからです。

マラソンランナーのような体力強者がいるように、頭脳においても1を聞いて10を知る秀才はいるものです。

その反対に、10言われてようやく1がわかったかわからないかくらいの凡人が我々です。

たとえ話をすると、聞く人の理解力のレベルに合わせて神の真理を得ることができます。

小学生の時に聞いた話と同じ話を70歳の時に聞くと、人生経験の積み重ねがありますから、70歳でまた新たな神の真理を見出すのです。

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さて、たとえ話は良いことばかりのような気がしますが、最後にイエス様はこのような言葉を残されています。

「聞く耳のある者は聞くがよい」
(マルコ4:9)

キリストの言葉を聞いて、その意味を正しく聞こうとする謙遜な「耳」があるかどうかが各人に問われているのです。

人の運命は理解力の優劣によって決まるのではありません。

神の言葉を聞こうとし、神の御心を汲みとろうとする耳があるかどうかで決まるのです。

つまり、神の言葉である聖書からキリストの言葉を知り、聞いた後のことは私たちの自由意志に任されているということです。

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イエス・キリストは決して「御心だからやりなさい」という信仰の押し売りはしません。

たとえ話を通して「ああ、こういうことを神は言っておられるのだな」とわかる分量は人によって差があります。

たとえそうであったとしても、そこで自分に与えられた理解力の範囲内で得たことにどう応答していくか。

単純に言えば、従うか従わないか。

保留にしておくか、時間を取って自分の生き方を考え直してみるか、聞かなかったことにしておくか、あの人に教えようと思うのか。

人間には多種多様な選択が残されています。

ただし知っておかなければならないことは、その自由意志による選択次第で人間の運命は決まるということです。

このような意味でキリスト教の信仰は強制とはならないのです。

聖書のメッセージはその人の責任と自由において聞かれ、その人の選択によって受け取られるべきものだからです。

たとえ「キリスト教の福音はグッドニュースなのだから良いものなのだ」ということであったとしても、国家制度に組み込まれたり宗教組織によって強要されるべきものではありません。

相手が家族の場合も同様です。

聖書の話が聞きやすい環境作りをし、祈りつつ神の働きを待つ態度が大切なのです。

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高校の社会科の授業で現代社会(かつては「倫理・社会」という名称)があります。

政治や社会の仕組み、哲学・宗教を学びます。

ちょうどキリスト教学習の時間があり、私の娘が先生からこう尋ねられました。

「あなたの家は教会だそうですが、信仰はどうなっていますか?」

娘はこう答えました。

「信仰は強制されていません」

すると先生が

「それでよろしい!」

と大きな声で言ったのだそうです。

私はそれを聞いた時に、太鼓判を押されたような感じがして安心感を覚えました。

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伝道をして神の言葉を伝えますが、決して押し売りはせず、祈りにおいて神の働きをを待つ態度がイエス様の取られた態度です。

相手の自由意志を尊重し、イエス様と同じように相手に接する今日の一日として参りましょう。

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※御言葉メールをまとめた書籍『365日 生きていていい!』(税込1500円)をご希望の方は、米沢興譲教会テープ伝道委員会までお問い合わせください。

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