今日のみ言葉【No.1781】(2018年 6月18日)「 キリスト教の神(1)」

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。
(出エジプト記3:14)

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サッカー界の超辛口評論家、セルジオ越後氏がなぜ厳しいことを言い続けてもテレビから干されないかを自分でこう語っておられました。

「僕は日本に何十万人もの教え子たちがいるから」

セルジオ氏はまだJリーグなど影も形もなかった1978年から「さわやかサッカー教室」を全国各地で開き、青少年サッカーの指導にあたりました。

その中からJリーガーが生まれ、多くのサッカーを愛する人々を生み出しました。

彼らは日本サッカーに強くなってもらいたいという思いをセルジオ氏に託しているのだそうです。

「セルジオさん、よく言ってくれた。これからもお願いします」

こんな人たちの存在が背後に何十万人もいる。

だから彼はビクともしないのです。

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キリスト教の神は、存在の神です。

「わたしは、有って有る者」
(出エジプト記3:14)

聖書は神がいるかいないかの存在証明をしません。

最初から

「はじめに神は天と地とを創造された」
(創世記1:1)

と、創造主なる神の存在は自明のこととして始められています。

聖書を拠り所として生きるということは、この究極の存在者である神を土台として人生を設計することです。

神抜きで生きるのではなく、神有りとして生きること。

生まれて、やがて衰え、死んで何も無くなって終わり…、という死生観ではなく、「存在」からスタートし、根本的存在者である神に支えられながら、「死」ではなく「生きる」ということを選択すること。

これが「有って有る者」と啓示された神を信じて生きる生き方です。

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確かな存在が背後にある人生は揺れ動きません。

クリスチャン政治家のO兄は落選の時にそのことを自分で体感したと言います。

議員さんは落選したら「ただの人」です。

その日から無職の失業者となります。

ですから、落選した後の支持者への挨拶回りでその人の本質が現れます。

地元の復興を願って東京から戻って来ての初戦は落選。

しかし神を信じる彼は全く落ち込まず、元気に落選直後の挨拶回りに出かけました。

するとその態度をどこかで見ていたのでしょう、「国会議員の秘書に推薦してあげよう」という人が出て、彼は次の選挙まで充電することができました。

後援会もできました。

テレビや映画なら次は晴れて当選、となるのでしょうが、現実はそうは行きません。

次回も落選。

神様は人生のいたる所で、

「お前は本気か?」

と問う分かれ道を用意されています。

O兄はその分岐点に来たのです。

彼はそこで腹を決めました。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」
(第2コリント4:18)

彼は見えない神の存在に支えをいただき、3度目の挑戦で見事当選されました。

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存在することをやめない神を拠り所として、今日の一日もしっかりと歩んで参りましょう。

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※御言葉メールのスケジュールは、
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