今日のみ言葉【No.1775】(2018年 6月11日)「 神とは(1)」

だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
(マタイ6:9)

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少しブラックがかったジョークを。

お客さんが来て、その家の子供に尋ねました。

客:「お父さん、いる?」

子:「いらな〜い」

(親子関係が薄いのでしょうか!)

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イエス・キリストは神を父として啓示されました。

聖書の場である中東のイスラエルでは、特に父親が家族の中で中心的役割を果たします。

たとえば、食事の際にパンを割いて渡す役割は父にあります。それは父親が家長であることを表しています。

家族を守り育てること、家族に神の存在を教えるのは父親の役目です。

ですから、

「天にいますわれらの父よ」
(マタイ6:9)

と呼びかけて祈れ、とイエス様は教えられたのです。

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ところが、先ほどのジョークのように、「父」なる神に対して「子」である人間は神を正しく見てはいません。

自分の命を左右するほどの存在なのに、「いらない」と思っているのです。

これは自分の体験から神を評価しているからです。

たとえで説明しましょう。

Kさんは船員で、時に半年も船に乗り、家を空けることがあります。

二人のお子さんはどちらも父親を「お父さん」と呼んでいます。

しかし、上の子よりずっと年下の子は、父親を

「たまに帰って来ておみやげをくれる人」

程度の理解しかしていません。

しかし年長の子供はそうではありません。

生活の中の体験から父親とはどんな人かを判断するだけではなく、その語った言葉によって父を理解しようとするからです。

ですから、長期間の留守中も、

「お父さんは私たちを見捨てた」

とは思いません。

「必ず帰ってくるよ。いつもお前たちのことを思っているよ」

と父親が語った言葉によって父がどんな人かを判断し、語られた言葉によって父を理解しようとします。

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聖書を読む意味がここにあります。

私たちは祈った結果や、生活上の様々な出来事を通して神様とはどんな方かという自分なりの神のイメージを持ちます。

しかしそれだけですと、様々な神様が現れてしまいます。

神を正しく知るには、神ご自身が語られた言葉、その自己紹介の言葉によって知らなければなりません。

それが聖書です。

聖書を通して神の言葉を知る時、私たちは信仰の王道を進み、神への正しい理解に進むのです。

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聖書を通して父なる神に出会う今日として参りましょう。

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